好きだ大好きだそれだけだ

「ブログとか、やってみるのはどうですか?」友人のSさんにそう言われたのは約2年前のこと。お互いの子を夫に預け、リフレッシュしようと落ち合った市内唯一のスタバ。わたしは期間限定の、Sさんは赤くて酸っぱそうで、わたしが絶対に頼まないタイプのビバレッジを飲んでいた。Sさんはこうも言った。「書いたものを誰かに読んでもらいたいと思うこと、ないですか?」わたしより少し背が高く、フレームの細い丸眼鏡をかけていて、いつも爪を綺麗に塗っているSさん。秋の夜長、暖色の間接照明に照らされるスタバの店内。わたしの生活においては極めて絵になる一場面だった。にもかかわらず、わたしはちょっと考えて「ないですね」と答えたのだった。完。

 

そんな「つまんねー女」ことわたしだったが、その3カ月後にひっそりとブログを始めた。少し前に夫の育休が終了して年が明け、いよいよ日中は6カ月の子と2人きりの生活を始めたばかりだった。

 

その頃の生活は単調で、昼間の子のお世話といえば授乳、少々の離乳食、おむつ替え、抱っこ抱っこ抱っこ抱っこDAKKO。一緒に遊ぶというよりは、子が遊ぶのを横で見ている、が正しい。できるだけ散歩に行くけれど、寒いのですぐに帰ってきがち。まだ会話はできない。日々めくるめく成長、という感じでもない。子はほどほどに寝るタイプだったので、その間に少々の家事。「少々の」で片付けられる程度の家事しかしていなかったので、コーヒー牛乳を飲んだり、スマホを眺める時間もあった。終日ワンオペで自分の時間が一切ないとか、全く眠れなくてフラフラだとか、そういうことはなかった。ただただ単調、ド単調だった。悲愴なほどに(それはハ短調)。

 

日付の感覚も消滅しており「時間、止まってる?」と思うこともしばしばだった。この日付感覚のなさは、それ以前にもあった「あれ今日って9日?10日?」どころの話ではなく、「今月もう15日!?まだ9日ぐらいかと思ってた」レベルの話なので我ながら引くし、さらに悲しいのが、それでも自分の生活にはなにも支障がない、ということだった。せいぜい、まだ余裕があると思っていた豆腐の賞味期限が今日でした、とかその程度だ。その変わり映えのなさと、冬の日照時間の短さと、産後のホルモンバランスが、少しずつわたしの心を磨耗させた。わたしは前に進めている?

 

そこで。

時が進んでいることを実感したくて、

今日も生きたし生かした、ことを「進んだ」のだと思いたくて。

始めたのが、このブログだった。

タイトルは当時見た夢から取った。坂上忍と、海とナポリタンではどちらが美しいか、という話をする夢。何それ?

 

そういう動機で始めたから、特に誰にも読まれなくて良かった。開設したことは誰にも言わなかったし、読み返すこともしなかった。ただ、日々にタイムスタンプを押すことが重要だった。この日とこの日、似ているけどほら、日付が違いますよね。だから別の日です、時間は進んでいますよ、と。手塚治虫の漫画で、どこかに閉じ込められた人間が、発狂しないために時間の経過を記録する描写が出てきた気がするけど、あれはマジ。

 

やがて春になり、私たち家族は県外へ引っ越した。新生活のドタバタに揉まれているうちに春が過ぎ、子が一歳になり、煮えたぎるような当地の夏を過ごす。秋が来て、もう熱中症に怯えずに済む!とあちこち出かけるうちに交流が生まれて知り合いが増え、冬にはそのうちの数人を友だちと呼べるまでになった。そして、何よりも子の加速度的な成長が、わたしに時間の経過を教えてくれるようになった。その一方、ブログの更新は完全に滞った。

 

去年、Sさんの誕生日をLINEでお祝いした時に「実はブログをやっています」と打ち明けた。きっかけをくれたSさんにだけはいつか言わなくては、と謎の義務感を持っていたのである。するとSさんは、日常に楽しみが増えて嬉しい、と言ってくれた。そこではじめてわたしは「だったら、書こうかな」という気持ちになった。

 

そこから、なんとなく他の友だちにもブログのことを話すようになった。みんな「読んだよ!おもしろかった」「更新楽しみにしてる!」など褒め上手なので、チョロいわたしは一層、また書こう!と思う。「おもしろかった!ところで、投資に興味ない?」と言い出す友だちがいなくて助かった。その流れなら仮想通貨でも情報商材でも、言い値で買ってしまったかもしれない。

 

友だちにウケたい、という俗物極まるモチベーションで書いていると不思議なもので、アクセス数が増え、スターをくれたり、読者登録してくださる方まで現れた。自分のためだけに書いているより、人に見られると思って書いたもののほうがウケるんだ。当然といえば当然だが、これは新鮮な驚きだった。始めた頃と今とで、わたしという人間は変わらないし、経験することにもそんなに振れ幅はないし、考え方も基本的には変わらない、つもりだ。でも「見てくれる人がいる」と思うだけで、こんなに変わるのか。わたしの友だち、という激狭の範囲にウケようとして書いたものでも、不特定多数の人に面白いと思ってもらえるんだ。

 

嬉しい。

わたしは、書くことも、読んでもらうことも、好きなんだ。

 

本当は恥ずかしいから、好きなのかもしれない、ぐらいの表現に留めたい。でも「なぜブログを書くのか?」このお題を見た時、スタバでのSさんの問いかけと重なって、だからはぐらかさずに答えたいと思った。

 

わたしは書くことも、読んでもらうことも好きだから、ブログを書いています。「おもしれー女」と思ってもらえたら、恥ずかしながらとても嬉しい。