「おとーさんは

なんでブラジャーしないの?」

 

2歳児がこの件から離れない。

 

子どもの唐突な発言で親が狼狽えたり恥ずかしい思いをする、という経験は、育児をしていては避けられないアクシデントだ。TPOの全てを無視してうんちだのおしっこだの叫んじゃったとか、赤の他人の容姿に言及しちゃって気まずかった、みたいな話は枚挙にいとまがない。

 

わたしが最近かなり動揺したのは、子とおままごとをしていたとき。持っていたコップにおもむろにエアの液体を注がれたと思ったら、「ママはビール」と言われてギョッとした。わたしは確かにビールが好きだけど、子の前で飲む機会は少ないし、あっても「母はビールが好きなんだな」と2歳に悟られるほど飲んではいないはずなのに。子よ、いつどこで、ママの何を見た。忘れるんだ、全部。

 

恥ずかしい方面で言うともうずば抜けたやつがあって、外出先のトイレで用を足していた時のこと。今ほどおしゃべりの達者でなかった我が子は、幼児を待たせるための折りたたみイスにすっぽり収まっていた。不意に「ママおしっこした?」と聞かれ、わたしは平然と「したよー」と答える。こんなことは予習済み予習済み。と思った次の瞬間、

 

「何色だった?」

 

色!?!?

これは予習してない、と狼狽えていると、アンサーまで引き受けてくれた子が元気に言い切った。

 

だいだい色!」

 

わたしはやっとの思いで、「わー、病気かなー?」と返すことしか出来なかった。今思い出しても、それ以外の答えが見つからない。色が色だけにムキになって否定するのも、かえってリアリティを帯びてしまう気がする。

 

それが我が家における「子の不規則発言による親の狼狽選手権」(長い)の暫定一位に半年以上君臨し続けたが、その王座を奪いかねない火種を今の我が家は抱えている。3月最後の日、子が突然それを口にした。

 

「おとーさんは、なんでブラジャーしないの?」

 

爆笑するわたしの横で夫は頭が真っ白、という雰囲気でフリーズしていた。わかるよ、その気持ち。その時は夫が「なんででしょうねぇ」と絞り出して終わったが、そんなことで諦めるうちの2歳ではない。きっかり1週間後の昼下がりに、今度は聞き方を変えてきた。

 

「おとーさん、今ブラジャーしてる?」

 

間一髪、ここが自宅だったので、夫は社会的生命を取り留めた。安堵とおもしろさが交錯して涙ぐむわたし、「してないよ」と答える夫。そして親切にも「すればいいんじゃない?」と提案して夫を追い詰める2歳。

 

しかし子の疑問にはなるべく真摯に答えたいと思っているので、一応説明する。「男の人はしなくてもいいんだよ、胸が膨らまないから。女の人は大きくなると胸が膨らむから、それを支えるために着けるんだよ」でも一方でわたしは、男性だって着けたきゃ着ければいい、とも思っている。だから「着けたければ男の人も着けてもいいんだけど」と言い足す。子は真剣な表情でわたしの説明を聞いたあと、夫に向き直って言った。

 

「おとーさん、ブラジャーしたい?」

 

ちゃんとわたしの話を理解してるんだなぁ、偉いぞ!と、抜かりなく親バカを発揮するわたしと、「したくないよ」と真顔の夫。

 

この顛末を友だちに話してひと笑いしたところで「今メンズブラってあるよねー」と教えてもらった。興味本位で調べてみると、驚いたことにメンズブラ、総じてかわいくヒラヒラでセクシー。なぜかモデルは女性が多い。もっと黒とか寒色系の、クールなのはないの?と、思わず楽天市場の検索窓に「メンズブラ シンプル」と打ち込んで深追いしてしまった。そうして出てきたのが白と水色のストライプやら、白地に小さなリボンが付いてる、とかだからマジかよと思う。こんなの全然シンプルじゃない、装飾なしの黒かベージュを出せ。

もし夫が今後ブラジャーの機能に惹かれて購入を検討したとしても、こうもラブリーでは「好みのデザインがない」という理由で挫折してしまいそうだ。今でさえ、彼はユニクロ無印良品でしか衣料品を買わないんだから。よくバストの豊かな女性の「胸大きいと可愛いブラがない」という嘆きを耳にするが、その対極にいるはずの夫に「可愛いブラしかない」のはどう考えてもこの世のバグである。

 

男性でブラジャーをする人は、その機能じゃなくて、装飾に惹かれているんだな。わたしが新鮮かつ不要な知見を得ている間も子の攻撃は止まらず、今日も夕飯を食べながら「おとーさんブラジャーしてないの?」と聞いていた。夫は麻痺してきたのか、全く動じずに「してないよ」と返している。こうして狼狽えずに答えれられるなら、万一この爆弾が外で爆発しても周囲に誤解を受けることはなさそうだ。そう思っていたら突然矛先がこちらを向く。

 

「ママ、何色のブラジャーしてる?」

 

色!?!?

また、色!?!?

 

爆弾の精度、上がっとると、またしてもわたしは呆然としてしまい、子に「きみどりじゃない?」と言わせる隙を与えてしまう。こんな古典的なイタズラ電話みたいな爆弾が外で、そして他人を巻き込んで爆発でもしたら一大事。躾とか性教育とか、始めどきなの?でも何から話す?どうやって?様々なことが一瞬で頭を駆け巡ったが、そんなことより今は言いたい、黄緑じゃないよ、黄緑じゃないってば!!!

鋭い其の目線が好き

常同行動、という言葉がある。

 

わたしがその言葉を知ったのは6年前、大阪は天王寺動物園ツキノワグマの前だった。そこに立っていた看板曰く「動物園の動物が、同じところを行ったり来たりしたり、首を左右に振り続けるといった動作を繰り返すことがある。これを常同行動という」「これは野生動物には見られない行動で(平たく言うと)ストレスによって起こると考えられている」「クマはとても好奇心旺盛な生き物だから、逆に言えば退屈に弱く、常同行動が起こりやすい」とのことだった。その看板の後ろで、2頭のツキノワグマは頭を振り振り、岩場の同じ箇所を何度も往復していた。

 

それ以来わたしは動物園のクマを100%で楽しめない。同じところを行ったり来たりしているクマはとても多いから。品川の水族館で初めてイルカショーを見た時も、わたしは「こんなに早く泳げる生き物に、このプールは狭すぎる」と思って涙ぐんだ。でも動物園も水族館も大好きなんだから、業の深い人間である。

 

その動物園に、11名という大所帯も大所帯で乗り込んだのは2月末のこと。参加者は、わたしを含めた大学時代の友だち5人とその家族である。そもそもは青森に住むSちゃん家の2歳児がゴリラを好きで、ならばイケメンゴリラと名高いシャバーニ君を見せてあげよう、と親であるSちゃん夫妻が決めたことがきっかけだった。そこでシャバーニ君の近所に住む我々も誘ってもらい、聞きつけた関東勢も参加することになった。イケメンの求心力は種族を超える。ところでサラッと書いたがシャバーニ君の現住所は愛知県名古屋市の東山動物園であり、Sちゃん一家は飛行機で当地に赴いている。イケメンより何より、親の愛、強し。

 

ゾウを見て(おっきいねぇ!)、トラを見て(しまじろうだねぇ!)、フラミンゴを見て(なんかあの一羽だけ生の鶏皮みたいな色してない?)、やって来たのは熊のいるエリア。当日は雨だったから、みんな屋外ではなく部屋にいるようだ。マレーグマに、ツキノワグマ。トラはガラス越しに見ることができたけど、熊の展示室はガラスに加えて頑丈な鉄格子が付いていて、その脅威を物語っている。熊が噛んで穴だらけになったオレンジ色のボールが展示されていて、我が子に「くまさん噛んだんだって、怖いねぇ」とか親ムーブをしていると、Sちゃんの夫氏が、妻のところに戻ってきてこう言った。

 

「一番奥に人殺せそうな熊いる」

 

反射で「それは全部の熊がそうだろ」と思うが、出会って2日目の友だちの配偶者に対するツッコミとしては乱暴すぎると判断し、心の中にとどめておく。次にHちゃんが一番奥の檻の前に、行ったと思ったら「怖い怖い怖い」と言いながらこちらへ戻ってきた。そこで皆でゾロゾロと、当該の檻の前に赴く。

 

 

そこでわたしが見たものは、黒い山だった。

唯一、バケモノじみた長く鋭い爪だけが白い。

途方もなく大きく重たそうな頭。子ども向けのあらゆる創作物に登場するのに、そのどれにも描かれない、長く突き出た鼻。ただ漫然とこちらを眺めているのではなく、人間共を注視する眼。

これは一体、と見た名札に書かれていたのは

 

「エゾヒグマ」

 

これが、と思いつつ、もうそのヒグマから目が離せない。本能に赤信号が点灯する。脳内に、危険を知らせる警報が鳴る。

 

「怖すぎる」「爪やば」「これ外で会ったらおしまいだよねぇ」等々言い合いながら、わたしはその檻に背を向けることすら怖かった。背を向けた後は、振り返ることが怖かった。

 

その後お目当てのゴリラを見たものの、わたしにはどれがシャバーニ君なのか見分けがつかなかった。まぁわたしあんまり異性の美醜に聡い方じゃないしなと納得しつつ、これは夫には言わずにいる。その後は「3日寝てません」みたいなバキバキの目をした毒蛇を見て盛り上がったり、そのまた後はシンリンオオカミを見て「モロの君じゃん!!黙れ小僧!!」とはしゃいだ。地面を滑るように歩くアルマジロも、ぬいぐるみのようにフワフワぽてぽてのレッサーパンダも、引くほどの大げんかをしていた2頭のアシカも、皆見ていて楽しく興味深かった。それでも今なお思い出すのはあの黒い山、横たわるエゾヒグマだ。

 

彼と見つめ合った時、わたしは自分がこれまで動物園の熊に抱いていた気持ちが「同情」だったことにはっきり気がついた。そして彼には、その一切が必要なかった。彼は何も諦めていなかったし、悲観してもいなかったし、退屈してもいなかった。明らかに、捕食者の眼でこちらを観察していた。

 

書きながら『ハリーポッターとアズカバンの囚人』のことを思い出す。その囚人は冤罪で長いこと服役したのだが、多くの囚人が正気を失う監獄で彼がそうならなかったのは、彼が「自分は無実である」という思いを強く心に持ち続けたからだった。東山動物園のヒグマには、その囚人と似たものを感じる。いつかは彼もアズカバンの囚人と同じ道を辿るつもりでいるのだろうか。またあるいは、第一巻でハリーが出会った動物園の蛇。彼だって動物園生まれだったけど、ガラスが消えた時、どうしたんだった?

 

対するわたしは、エゾヒグマが脱走する可能性を恐ろしく思えど、せいぜい東山動物園の職員が檻にしっかり施錠しますように、と祈ることしかできない。あまりにも無力。そしてもし外で熊に出会ったら、パニックになって逃げ出すんだろう。それができれば良い方で、実際は腰を抜かして逃げることもできない可能性の方が高い。どっちにしろ結末は同じなんだから、その場で気絶するのが一番幸せかもしれない。「熊と出会ってしまったら、目を合わせたまま、ゆっくり後退しましょう」だなんて、あのヒグマを見た後では机上の空論すぎて笑えてくる。

 

きっとわたしはこれからも、しっかり野生を忘れて動物園を楽しむ。動物の常同行動も目にするだろう。確かに彼らは退屈しているかもしれない。だけど彼らが野生を忘れているかなんて、その境遇を嘆いているかなんて、わたしにはわからない。わからないのに彼らを憐れむことこそが、人間であるわたしの傲慢なんだろう。あの時わたしの中から湧き出て来たものは、確かに本能から発せられる危険信号だった。わたしが動物園の熊に寄せるべきは同情ではなく恐怖、それが転じて敬意なのかもと、今はそう思っている。

お伽話の王女でも

大学生の時、アメリカからの留学生との交流会に出たことがある。「日本に来てカルチャーショックを受けたことはある?」と拙い英語で聞いたわたしに、留学生の一人が「バスキンロビンズが、サーティワンと呼ばれていること」と答えた。このことをわたしは何となく忘れられず、以来サーティワンの前を通ると、確かにbaskin robbinsて書いてあるな、と毎回律儀に思っている。

 

あれから干支が一周し、わたしは31歳になろうとしている。

 

一年前の誕生日は「祝生誕30周年!大台突破記念、やんややんや」という気持ちの盛り上がりがあった。ので自分へのプレゼントと称して35,000円もする骨格パーソナルカラー診断を受けたし、その圧を感じ取った夫も、例年より奮発したプレゼントをくれた。今年はそんな盛り上がりはなく、粛々と当日を迎えようとしている。プレゼントも、リクエストしてと言われているけど、これといって思い浮かばないままでいる。というか冷静になったら骨格云々に35,000円は高すぎる。

 

ただ一つ、去年からずっと心に秘めていた計画があって、それが誕生日当日にサーティワンのアイスケーキを食べることだ。31歳になるから、サーティワン

 

思いついた時は「なんていいこと考えついたんだろう、天才か?」と思った。わたしは大概、自分に甘い。その計画を友だちに話したら「アラサーは胃腸も弱ってくるから気をつけてね」と言われて「夢も希望もないな」と思った。しかしこれはかなり的を射た忠告であり、現にわたしは昨年友だちの結婚式で供されたいいお肉を食べて、もうテキメンにお腹を壊した。こんな人間がアイスケーキだなんて、夢や希望以前に適性がない。

 

それでもずっと前から食べてみたくて、という熱い気持ちもない。思いついてから検索して、へーこんなに種類あるんだ、と驚いたぐらいだ。その上、ピカチュウの中身、ポッピングシャワーだけ?もっと選べればいいのに〜とかのたまっているんだから始末の悪い客である。加えてわたしは自他共に認める「アイスを食べるのがビビるほど遅い人間」なので、その点でも適性がない。友だちとアイスを食べていて「その味、好きじゃなかった?」と聞かれたことが複数回ありますか?アイスを食べるのがビビるほど遅いってのは、そういうことだ。

 

だからこそ、今年しかない!

31歳になる誕生日、サーティワンのアイスケーキを食べるのにこれ以上うってつけの日があるだろうか?いや、ない。胃腸だって、どんどん弱くなる一方だ。今年食べなければ、もう一生食べないに決まっている。「31歳だからサーティワンアイス食べる」って周りに言った時にちょっとウケる、この動機づけがなければアイスケーキなんて絶対に食べない。善は急げ、今日が一番若い日だ。わたしには太田胃酸がついてる。共に乳脂肪と闘おう。

 

そう決意して夫にアイスケーキを注文してもらい、今はワクワクしながら当日を待っている。なんでも日本上陸50周年を記念して、中に入っているトッピングが50%増しになっているらしい。ラブポーションサーティーワンのハート型チョコが1.5倍は魅力的だが、ポッピングシャワーのポッピング部分が1.5倍?それは美味しいを通り越して、おもしろくなっちゃうのでは?

 

スマホを落とすなら

午後一で子の歯科健診があり、会場の大部屋で順番を待っているところで、スマホがないことに気がついた。うわ、と思う一方で、意外と冷静な自分もいる。たぶん乗ってきたバスの中だろう、と予想がついたからかもしれない。もちろんショックではあるので、子に「ママ、スマホ失くしちゃったかも」と話しかけたが、子は歯科医の待つ部屋の扉を凝視していて反応はなかった。

 

帰途、虫歯なしという結果に安堵しながら、最寄りの停留所でバスを降りる。そこは市役所の分室で、もしかして行きのバス停で落としたなら、ここに届いてたりしないだろうか?そう思って確認することにした。10人ほどがいそうな事務室、目が合った女性に「スマホ落としたみたいなんですけど、届いてませんか?」と聞いてみる。その途端「えー!大変!」「誰か、スマホの落とし物知ってる?」騒然とする事務室。いやいやいや、「ないですね」で終わりだと思っていたのに。いいのに。「あー全然、なければいいんです」とそのまま言うと、最初に声をかけた女性に「電話してみた?」と聞かれる。「してないです、スマホないんで」と答えるしかなく、なんかおちょくってるみたいになって申し訳なかった。

 

そうしたら「ここので電話してみて」とガラケーを渡される。電話ってどうかけるんだっけ、受話器マークは最初?最後?とか思いつつ外に出ると彼女もついてきて、えっ探してくれるの!?まったく想定外の厚待遇を受けて、なんだか恐縮してしまう。スマホを落としただけなのに。これでわたしの鞄から着信音が聞こえたらめっちゃ恥ずかしいなとドキドキしながらコールしたが、結局スマホは見当たらず、わたしはお礼を言ってガラケーを返した。彼女は「見つかるといいんだけど。怖い怖い」と言って事務室の中に戻っていった。

 

スマホを落とすって、怖いのか。

それがずっとピンときていない。ショックではあったけど、怖いとは?

 

そう夫に言ったら、まずは「クレカとかお金が入ってるから、使われちゃうかも」と言われた。そして「個人情報もめちゃくちゃ入ってる」だから怖い、とも。なるほど。なるほどだけど、我々には、6桁のパスワードが!あるじゃないか!!

 

パスワードは?と言ったら夫は「そんなの簡単に破れるじゃん」と言う。大変驚いてどういうことか聞いたら「最初から順に試せば、いつか必ず開くんだから」と言われてまた驚いた。000001から始めて999999までを試していくのを、簡単て言ったのこの人?そう言ったら「000000からだよ」と言われた。そういうことを言ってるんじゃない。

 

そんなことしてたら、日常生活に支障が出るんじゃないか。寝食を忘れてスマホをポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチ(これでまだ、2通り)。寝食は忘れなくてもいいけど、なんとなくやめ時も逃しそうだし、普通に朝まで試して後悔して、でもやめられなくてみたいな、普通にスマホあるあるの負のループ。想像しただけで目が悪くなる。

あと他の機種は知らないけれど、iPhoneはパスワードを複数回間違えるとロックがかかり、その後数分は解錠できなくなる。間違えれば間違えるほど、その時間が延びていく。多分100万通りを試す前に、開けようとした誰かの寿命が尽きるのでは?

 

「でも個人情報はお金になるからね」と夫は言う。わたしだって個人情報を入手したがる悪党がいることぐらいは知っている。でもそういう人らってもっと組織的というか、個人情報を入手するルートみたいなものがあるんじゃないのか。わざわざ誰かが落としたスマホを探して徘徊して、せこせことパスワードを入力してなんてことをやっているとは思えない。効率が悪すぎる。「そう思わない?」「でもスマホなんて結局、USBみたいなもんだから。パソコンに繋いだら中身は抜けるんじゃないかなぁ」もしかしてわたしはその悪党と結婚したのか、それとも適当なこと言われて丸め込まれそうになってるのか、どっちですか?

 

自分の個人情報が他人に渡ってると思ったら、怖くない?と聞かれたけど、それは怖い。でもわたしの中で、スマホを落とす=個人情報の流出、という感覚がいまいちよくわからない。あとわたしの個人情報は、とうの昔にベネッセから流出しているので、もうどっちでもいいや、みたいな気持ちもある。

 

そもそも街中で落とし物のスマホを見つけた時、それを「然るべき場所に届ける」と「売り飛ばす」が等距離にある人、そんなに多いのか。わたしはスマホを見つけたら、施設内ならその施設の人間に届けるし、外ならまあ、交番に届けると思う。うーん、よっぽど急いでなければ。でも「売ろう」と思ったことはない。なさすぎる。「そんな人、少ないでしょ」「少なくても、ゼロではない」「でもそれはもう、交通事故とかと同じじゃん」「交通事故は怖いでしょ」「うーん………?」やっぱり丸め込もうとしてないか?

 

フェアじゃないので言うけど、財布なら揺れる気持ちはまだわかる。届けるよ、届けるけど、届けない人がいるのもわかるから、財布を落とすのは怖い。あと免許証とか保険証とか、こっちはノーガード個人情報なのでそれも怖い。でも同じ人間がスマホを拾ったとして、そのスマホを破ってまで個人情報を得ようとするだろうか?そんなめんどくさいことを?と思うのは、わたしがめんどくさがりやだからなのか。

 

一歩も歩み寄れないまま話は終わろうとした、ところでふと聞いてみた。「じゃあ海とかに落とす方がいいってこと?」夫は躊躇いなく「そうだね、それはスマホが壊れるだけだから」。

な〜るほど。前段の「スマホを落とすのは怖いことだ」という感覚はわからないままだけれど、夫の考え方には少し近づいた気がする。わたしは海の方が嫌だ。落とした瞬間に一生返ってこないとわかるそのダメージが、喪失感が、強すぎる。落としたのが人混みなら、誰かに見つけてもらえて、戻ってくると信じられる。現にわたしのスマホはバスの座席に取り残されていたようで、バス会社に連絡したところあっさり出てきた。気づいてくれたのは、次に乗ったお客さんだろうか、運転手さんだろうか。いい人に拾われてよかったね(犬に言うセリフ)。

 

しかし、わたしが怖がろうと怖がるまいと、重要なのはそこではない。スマホには貴重な個人情報がたくさん詰まっていて、それは自分のだけではなく、多くの人のものなのだ。だからわたしは(こう見えても)反省しています。この反省を持続可能なものにするために『スマホを落としただけなのに』を見るべきかもしれない。内容は知らないけれど、「スマホを落としただけなのに」の文言の後にお気楽ハッピーシンデレラストーリーが待っているはずがない。それを見れば「どうせわたしの個人情報なんて、とっくにベネッセが」というナメた気持ちも、北川景子が一撃で叩き直してくれることだろう。

お山、蜂蜜、きんぴらごぼう

2歳のおしゃべりが上達し続けている。ダイソンもびっくりの吸引力で言葉をインプットし、マシンガンのようにアウトプットする。赤ちゃんにはたくさん話しかけて、言葉のシャワーを浴びせよう!的なことは産後よく言われるが、今やこちらがビショ濡れになっている。マシンガンの例えで最後までいこうとしたら、今やこちらが蜂の巣になっている、となって不穏だったからやめた。

 

最近は「朝、パンとコーンフレークどっちがいい?」と聞くと「コーンフレークでお願いしまーす!」と元気に答えてくれる。模範解答すぎて逆に困惑する。日本語の教科書か?わたしと夫の会話から学んだとは思えない、というか夫に朝食の選択権はない。「〇〇でお願いします」そんな言ってる?別にいい、もちろんいいけど困惑はしている。

 

でもまだ発音の方は大人と同じようにはいかないので、こちらが注意深く聞いているからこそ伝わる、というシーンも多い。そして、どんだけ聞いてもわからないシーンもままある。

言っていることが伝わらないとき、子どもはどうなるか?きっと子どもによって千差万別なんだろうけど、うちの子は諦めずに言いたいことを言い募り、最終的にキレるタイプだ。だから子が何か言って、なに?とこちらが聞き返す、それを2往復したあたりからはわたしの中では導火線がバチバチと音を立てながら短くなっていく。何回言っても伝わらないと「なんも言ってなあーい!」と爆発して暴れるから毎度こっちも真剣である。

 

先日、子がニコニコしながら言いたい何かがわたしには「たけのこばこ」としか聞こえず、「たけのこの?さけのこばこ?」とか散々やってもわからず「ちがう!ちがーう!」とキレられて撃沈した。そして半日経った頃また「たけのこばこ」だけを言われる。ヒントが無さすぎる。TOEIC並みの集中力でリスニングしたところ

 

「たけのこばk

 

これどうやら最後は「こ」じゃなくてkそこから遂にたどり着いたのが

 

「車検のコバック」

だった。

その場ではこっちも感動してるので「車検のコバックだったか〜!」と叫んで2歳と熱い抱擁を交わす。そして夜になって「何が?」と冷静になる。

 

奇跡の正解を出すこともある。車検のコバック事件の翌日、お風呂にて「今日アンパンマンを探せで、つみきのこ見つけたの」と言われる。アンパンマンを探せ、と言うのは幼児向けのウォーリーを探せ的な絵本だ。つみきのこ=つみきまんのことだろうと「つみきまん見つけたねー」と言ったら「つみきまんじゃない」と言われた時の緊張感。「つみきまんじゃないの」「ちがう」「もう一回言って」「つみきのこ」バチバチバチバチ頭の中でアンパンマンのキャラクターを総ざらいしようにも、多過ぎて無理。つみきのこ、つみきのこっぽい名前

 

チビケロくん?」「チビケロくん(ニコ)」

 

20231番の好プレーであった。なお後から調べたところ、アンパンマンのキャラクターは現在2,300体以上いるらしい。

 

この競技の難しいところは(競技?)、子どもの記憶に何が引っ掛かるか、大人には予想し得ないところだ。大人で車検のコバックのCMを心に留めているのは、近日車検を受けたい人かはなわ氏のファンだけだ。アンパンマンキャラクターの中から「チビケロくん」だけにフォーカスする人もいない。いないでしょ。知らなかったでしょチビケロくん。オタマジャクシなんだよ。カエルじゃないのかよ、という衝撃。

 

こういう、大人が意識の外に捨てていってるものを、子どもは捨てずに持っていて、忘れた頃に見せてくる。大人にとってはゴミでも、子どもにとっては宝物なんだねっ!とかキラキラしたことは全く思わない。けれど、ああ、大人には必要ないものだけど、ゴミでもないんだな。そう思って感心するし、愛おしい。この子の前には全てが平等だ。現に今日も、お菓子で汚れた自分の手を拭こうとおしりふきを探しながら「おしりふきないねぇ、でもママはいる」と言っていた。ママおしりふきと並列に語られたことって今まで無かったから、本当にびっくりしたよ。

 

結論、2歳のおしゃべりはかわいい。数日前、キッチンで人参を切っていたら「きりんぱろぼ作ってるの」と言われた。派手なキリンのロボットが脳裏を駆け抜けて行った後、思わずニヤニヤしながら「きりんぱロボ?」と聞き返す。その反応で、正しく言えていないことが本人もわかるのだろう、はにかみながら「きりんぱロボじゃない」と言い残してどこかへ行ってしまった。わたしはもうこの先の人生で、これを作るたびにきりんぱロボに言及して、子にウザがられるのだろう。わたしの母も事あるごとに「おまにゃ」「はちむ」の話をしていた。本当に、親ってやつは。それにしてもきりんぱロボ、毎回作った後「なんかすごい量できたな」となるのは何故なのか。食べるからいいけど。

健康の価値も体重も

先週、友人のSさんと電話をした。月一程度のペースで、わたしたちは午後3時から小一時間、電話で話す。そう書くとなんだか重い、義務っぽさがあるが、そうではなくお互い都合のいい時間やタイミングを探していったらこうなった。あと昼顔っぽさもあるけど、Sさんは遠くに住む大事な友人、それ以上の関係はない。昼顔をご存知ない方は周りのアラサー以上の人間に聞いてみてほしい。ご存知の方は「あれがもう9年前!?」とゾッとしてください。

 

電話は、こうして決まった相手とそこそこ頻回にしていても、毎回最初はペースを掴めない。0.5秒差で話し始めてしまって「げん「元気ですか?アッすみません」いや全然、元気です」「それはよかった、わたしも元気です」と立て直した直後に「そっちはお天気どうですか?」「寒いです、そっちは?」「寒いですよ〜今朝「やっぱ寒いんだぁ〜アッごめんなさい!今朝、なんですか?」みたいな天丼をやってしまう。顔が見えないからなのか、でも話していると段々チューニングが合ってきて、同時に話してしまうこともなくなるからよくできている。そうして話は近況報告へと向かう。

 

Sさんは11月に、ご夫婦+3歳児の家族全員でインフルエンザにかかってしまったらしい。わたしは子どもの病気や発熱をほぼ土石流だと思っているので、それを聞いただけでSさん一家が土石流に押し流されてしまったように感じて打ちのめされた。でももう元気だそうで何より。そちらはお変わりないですか?と聞かれたので、一週間まるまる鼻風邪をひいた果てに副鼻腔炎になったことを話した。Sさんは風邪の終わりにいつも鼻水が黄色くなって顔が痛くなると言うので、それは蓄のう症かもしれません、と耳鼻科で聞いたことを受け売った。

 

年が明けたら、用事のついでに我が家に立ち寄ってくれることになっているので、その日のなんとなくの流れも話す。実は去年も同じように会える予定があったのだが、Sさんちの子が直前に発熱、うちに寄ってもらうことはできなかった。絵に描いたような子連れあるある、というわけで今回はリベンジ戦だ。子の体調不良なら仕方がないと諦めもつくが、最近は親の方がなんの前触れもなく風邪をひいたりするから油断ならない。当日に向けて体力作りをしようか、と半ば冗談、半ば本気で言い合う。

 

またわたしの近況として、最近できた友だちと飲みに行って飲み過ぎ、久しぶりに家に帰ってきて吐きました、という話をした。近況として語られるものとして、かなりどうしようもない部類の話だ。それはさておき、この新しくできた友だちというのがなかなか体育会系で、彼女は最近イラっとしたらスクワットをすることにしたらしい。そしたらめっちゃスクワットすることになってさ、痩せるかもー、と笑っていたが、わたしはイライラの発散方法だけでこうも違うものかねと衝撃だった。断言するがわたしは、運動なんてできるだけしたくない。しないで済むなら、しない。イライラしたらチョコ一個食べちゃお〜ぐらいなもんである。わたしとは思考のベクトルがバキバキに逆を向いていていっそ清々しい。その話をSさんにもして同意を得、でも結局健康のためには適度な運動、日々の体力作りが大事なんですよねと遠い目になった。電話なので見えないが、多分Sさんも同じ目をしていたと思う。

 

この「全ての話題が「健康第一」に回収されていく」現象、めっちゃ加齢を感じる。アラサーともなると、みんなそうなのか。いずれそうなるのかな、と漠然と思ってはいたものの、想定より10年ぐらい早い。わたしは今年からQPコーワゴールドを飲み始めたけど、これも想像より全然早かったし全然効かない(やめちまえもう)。これでは20年後の話題として想定されている「親の介護」も、もっとずっと早いのか。こわ。

 

ところでSさんとわたしには、健康のために(我が家は節約のためにも)ヨーグルトメーカーでヨーグルトを作って食べている、という共通点があるので、いつも風邪や健康の話になると「ヨーグルト食べてます?」「毎日は食べてないかも」「食べてるのにひいた」とも言い合う。でも実は、わたしはかなり長いことヨーグルトが好きじゃなかった。理由は簡単で、ボンドみたいだから。でも妊娠を機に高栄養で低カロリー、ということで食べるようになったら、あら不思議、美味しく食べられるようになった。なかでもナチュレ恵が好きだ。フルグラをかけて食べると美味しい。メジャーな食べ方かと思ったら、意外と人に驚かれ喜ばれるからお試しあれ。そのかわりカロリーも鬼増える。

 

あれ?でも産後、体調はめちゃくちゃ崩しやすくなったな。あれ?

 

あれ!?

元気ですか?

先日スーパーの魚売り場で、丸のままのサバを買い求め、その場で二枚おろしにしてもらった。対面販売というやつだが、わたしは小心者なのでこのシステムを滅多に使わず、普段は切り身の魚ばかり買っている。でもその日は手ごろな切り身がなく、でもそろそろ魚も食べたくて、対面販売の担当者が女性であったことが決め手となって「このサバ一尾ください」と頼むことができた。しかし如何せん慣れていないので、サバを手にした彼女に「どういたしましょう?」と聞かれて適切な答えがわからず、「味噌煮にします」と断言してその場を乗り切った。

 

「ママ、サバを何してもらった」

その日から、うちの2歳が毎日これを言う。語尾が上がらないので気づきにくいが、本人としてはこれは「何してもらった?」という疑問文で、わたしがこう答えるのを待っている。

 

「ママ、サバをさばいてもらった」

 

それを聞いて、子は満足そうに笑い「おもしろいねぇ」と言う。

すごくない!?

わたしは、はっきり衝撃を受けている。

 

きちんと覚えていないけど、二枚おろしを頼んだその場でわたしは子に「何してる」と聞かれて「サバをさばいてもらってる」的なことを答えたのだろう。ダジャレになってるな〜とは思いつつ、そのことは特段口に出さなかった。ダジャレの仕組みとその面白さを説明するのは難しいからなのに、子はウケている。サバをさばいてもらうことに、もう一週間ぐらいウケている。ほんとに、2歳か?

 

果たしてこれは、ダジャレになってることを面白がっているのか、それとも「お店の人に頼んだらお魚を切ってもらえた」ことが面白いのか。後者なら、子どもらしいというか、まだ世界の全てが発見の連続なのだなぁ、と、月並みながら微笑ましい。でも前者だと「もうそこ!?」という驚きが勝つ。なんというか、理解(わか)りすぎてない?

そして追い討ちの「おもしろいねぇ」はなんなんだ。なんでそんなに、端的かつ明確な意見が述べられるんだ。

 

ほんとに2歳か?って思うけど、ほんとに2歳である。だから結局、わたしが思うよりずっと2歳児は賢いってことなんだろう。うちの子が、ではなくて、子どもが賢い。わたしが想像してたよりずっと。そういえば2歳前にウインナーを気に入りすぎて際限なく欲しがるので、「そんなに食べるとウインナーになっちゃうよ」と軽い気持ちで言ったら「やだ」とシクシク泣き出したことがあった。この頃の子は、まだ「ママ」と「いや/やだ」しか言えなかったのに、それを使いこなしていて「え、賢いな!」と思ったのだったし「たまになら大丈夫」とフォローしたんだった。あーかわいい(親バカ)。

 

そんな風に感心しながら、おととい、今シーズン初の鍋。夫のリクエストで鱈の味噌鍋になった。これはサバ味噌を気に入っていた2歳も気にいるだろうと思っていたらこれがまっっったくウケない。鱈も野菜も〆のうどんもほとんど食べずに食パンやキャンディチーズを食べていて、これぞ育児あるある「気にいると思ったものほど食べない」。だからわたしが、食後に満を持して言うつもりだった「鱈をたらふく食べたねぇ!!(キャハハ‼︎)」は、あえなくお蔵入りとなったのだった。