有馬温泉の思い出

この世に一世帯だけ「家族ぐるみの付き合い」をしているご家族があり、先日一緒に有馬温泉に行ってきた。友人はSさん、その夫をO先生という。彼らとはもともと「夫婦ぐるみの付き合い」があり、数回旅行に行ったこともあるが、最後に旅行したのは3年近く前だ。その後お互い子が生まれ、コロナが流行を繰り返し、戦争が始まり、我が家は県外へ引っ越し、物価上昇は止まるところを知らない。明らかに旅行の難易度が爆上がっているのに、実現に至ったことが嬉しい。

 

本当に!!!嬉しい!!!!!!!!!

(伝わらなそうだったので)

 

旅行に限らず子連れのイベントは、まず「元気で当日を迎える」という関門を突破しなければならない。そのためわたしは当日までの数週間、鬼気迫る表情で子の手を洗い、神に祈りながら朝晩の検温をし、普段と違うことをしないよう細心の注意を払って「日常」をこなした。そして何より自分の高揚を隠すのに全神経を集中していた。「親が浮き足立つと子は体調を崩す」説を信じているからだ。子の前では旅行の話もしないようにした。にもかかわらず夫が「着替え、どうする?」「オムツ、いくついるかな?」と無邪気に聞いてくるから、「天気次第」「16枚」と能面のような顔で答えていた。まったくこれでは、平常心とは程遠い。まだまだ鍛錬が足らない。けれどそんなわたしをファミリーイベントの神は哀れに思ったのか、子はあらゆる風邪の諸症状を回避して当日を迎えた。

 

有馬温泉に向かう電車は、なにやら若人で混んでいた。大所帯の男子大学生はみんなGUのカーディガン(決めつけ)を着て鮮やか。電車が有馬温泉駅に着くと、彼らもゾロゾロと降りていった。卒業旅行かな〜なんて思っていたら、駅を出てすぐ、アーチ状に架けられた橋に座って集合写真を撮っており、「あらあら、楽しいねぇ〜」と目を細めてしまう。そんな母性の発作を起こしていると、O先生が「あれだけ人数いたら、中には仲良くない人もいるでしょうね」と言うので、「それもまた、若者の真理!」と妙に感動してしまって、頭の中でフジファブリックが流れた。

 

ところで有馬温泉、意外と若者にウケているようだ。炭酸せんべいのお店に行列ができていたり、お洒落なクラフトビールのお店があったりと、意外と盛えている。もっとこうその全盛期を過ぎた温泉街なのかなってね、思ってたから!いい意味で!いい意味でね!!

とにかくこの賑わいは嬉しい予想外だった。道端にある定員8名の足湯にはどう見ても20名ぐらいが鮨詰めになっていて笑ってしまった。関西の学生さんにとって、関東でいう箱根みたいな立ち位置なのかな、と予想する。

 

宿にチェックインしてSさんと温泉へ。大浴場の靴箱には紙とペンが置いてあり「名前を書いて自分のスリッパの上に置いてください」というシステムを採用している。なるほど、と思っていたら横でSさんが「私のどれだっけ、わかんなくなっちゃった」といきなり言うから爆笑した。はーおかし、と思って記名した紙を置こうとしたら、私のだと思っていたスリッパは既に別の人の名札が置かれていた。爆怖。

温泉はタイミングよく空いていて、我々は貸切の露天風呂で積もる話をした。途中で女性が一人入ってきたが(男性だったらえらいこっちゃ)その時わたしは「Sさんのことがとても好きです」という話の真っ最中だったので、なにのぼせとんのじゃコイツ、はよ上がれ、と思われたかもしれない。それならいいが、気まずい思いをしていたら申し訳ない。ところでわたしは湯船に浸かる前に化粧を落とすか散々悩み、あとで眉だけ描こう、と思って顔も洗ったのに、結局眉は描かなかった。そうなるに決まっているのに、自己分析が甘すぎる。次回は眉ティントを試してみようか。

 

夜はビールと日本酒で大人時間。子が寝ているので電気を点けるのは躊躇われ、行燈と窓からの月明かりで乾杯する。枕草子か?

地ビールが苦い、チーザ美味しい、と言い合いながら順番に最近の近況報告をする。こういう場面で夫は口が重く、わたしが横からつついたり茶々を入れたりする。けどいざ自分の番になると私の方こそ話すことは何もなく、苦し紛れで友人の結婚式に参列した話をする。新郎がサラブレッドでスーパーエリートでブラックジャックみたいな人、と言うとSさんが「その人のケッカンを探して見たいですね」と言う。性癖の話か…!?と思ったら「欠陥」だった。O先生は最近出会ったモヤモヤする人の話をしてくれて、わたしはそれにとっくり共感した。それにしても友人とお酒を飲みつつ談笑する時間の尊さよ。私はこの時が楽しみで楽しみで、楽しみすぎてその旨をFMラジオに投稿したりしていた(読まれた)。

 

翌日起きて朝食バイキング。前夜もそうで、これはバイキングなら子どもも何かしら食べられるだろうという、はっきり言って妥協なんだけど、これがまあ予想を大きく裏切り大変に美味しかった。特に夕食に出た茶碗蒸しが傑作で、Sさんと感激してベタ褒めし、この世界でおそらくただ一人の「茶碗蒸しが嫌いな人間」こと我が夫に「これは絶対美味しい!」と言って食べてもらった。美味しくなかったらしい。ー完ー

 

チェックアウト後、ロープウェイに乗って六甲山へ。子はロープウェイが動き出してすぐ泣き出し、すぐに泣き止んだと思ったら、降りてからまた泣き出してしまった。ずっと怖いのを我慢してたんだ。ごめんね、ごめんね。注意が足りなかったと反省。子はそのあと大好きなカラーコーンをたくさん見つけて機嫌を直してくれた。頂上のお土産屋さんではデフォルメされた消防車や救急車の描かれたTシャツが売っていて、子が興味を示す。たしかに可愛いが、5,000円…!!さすがに旅行ハイのわたしでも踏みとどまった。しかし下山後、駅までの道中にあった一串450円もするさつま揚げはバッチリ買い食いした。夫も食べて900円。今思い出すと気絶しそうになる。

 

ギリギリまでお土産屋さんをうろついて、有馬温泉を後にした。Sさん達はそのまま神戸市街へ、我が家は新神戸駅へ。車内で対面に座り、ありがとう、お元気で、お気をつけて、の応酬。

行くまでは、初めて友達と子連れ旅行、一体どうなっちゃうの〜!?と思っていたけど、大きなトラブルもなく、とても楽しい時間を過ごした。決定的なもの別れで旅を終えていたら「友人と家族旅行をして縁を切った話」というマンガを描いてインスタに載せるルートもあったが、回避。もっとも友人一家がどう思ったかはわからないので、現在Sさんがそれを描いている最中かもしれない。または私が知らないだけで、もう公開されている可能性もある。最近のインスタ、人間関係のトラブルの話がめちゃくちゃ多くて怖い。

 

旅行から帰ってからお互いが撮った写真を共有し、はたと気づく。わたしとSさんが一緒に写っている写真がない。ロープウェイの中で全員で撮った一枚だけだ。ほとんどの写真は子を中心に、お互いの家族写真になっているのだ。撮っている時には気づかなかった。

そのつもりはなくとも少しずつ、子どもが、家族が中心に。こういうことなんだな、と少しだけ腑に落ちた。悲しさや寂しさとは違う、切なさがしみじみと胸に満ちる。けれど膝に二歳児を乗せたSさん、その隣でピースするO先生、彼らにスマホを向けたわたしも笑顔でそこにいたのだと、そのことを忘れずにいたい。

 

ちなみに最大のトラブルは行きの新幹線に乗る直前、子が夫の抱っこ紐の中でおしっこを溢れさせたこと。出発からわずか一時間にして予備の着替えを失うという生温かい展開だった。そして成人男性である夫に予備の着替えはなかったので、しばらくお腹がおしっこで濡れていた。暖かい日だったのが幸いだった。もう半月も前のことなのに、わたしだけが余韻に浸り続けて脳までふやけている。