わたしとひじきと豚と

少し前から、子がわたしに向かって「ママかわいー」と言うようになった。子の発語はいつだって突然で、その日の朝わたしの履いていた靴下に向かって急に「これかわいー」と言い出し、その日のうちに「ママかわいー」に到達した。子が誕生したその日から、わたしが毎日ダースで浴びせてきた「かわいい!」がついにアウトプットに結びついた瞬間である。

 

そのまた少し前まで、いったい全体何がどうしてなのか、子はわたしや夫に向かって「ブタ」と連発していた。「ブタ?」とちょっと高い声で、不思議そうな感じで言うから、大人でいうところの「は?」と近いものを感じる。そんなことを教えた覚えはないのに、気に食わないことがあると「ブタ?」と言ってきゅるんきゅるんの瞳でこちらを見上げていた。例えば、許容量以上のジュースを欲しがったとき。「ジュース」「もうおしまい」「ジュース」「ダメよ」「ジュース」「あとはお茶」「ブタ?」今なんて?

 

とはいえ、本当にブタと言ってるかはわからず。まだまだ発音も不明瞭だし。この時期に友だちの車で出かけたとき、うちの子はなぜか車中で「ブルワリー」と連呼していて、私と友だちは「醸造?」と首を捻ったが、後に「ぶどう味」と言っていたことが解明された。「何が?」という謎は残るが、とにかくブタでない何らかを言おうとしていた可能性だって大いにある。

 

そうだとしても。オムツを替えるよ、と言ったとき、「オムツ替えよう」「や!」「お尻が蒸れちゃう」「や!」「こっち来なさい」「ブタ?」違うよ。

 

でも、ブタにそんなに思い入れがあるはずがない。第一、実物を見たことがない。うちにある絵本にも、ほとんど出てこない。主役級の扱いを受けている話は、多分、無いんじゃないか。子どもの絵本の主役はだいたいクマかウサギ、次点でゾウと相場は決まっている。かろうじてブタが出てくるのは童謡集の「こぶたぬきつねこ」の中だけだ。それだって、他の曲と比べてそんなに歌っているわけじゃなく、むしろ少ないほう。「どんぐりころころ」ならもう一生どころか来来来世の分まで歌ったが。ほかのどの場面においても、創作物としてのブタと出会ったことはほぼ無い。だからやっぱり、「ブタって言ってるんじゃ、ないんだよなあ?」という風に思えてならない。

 

それなのに!キッチンにいるわたしのところへやって来て「パズル」「今は無理だなー」「パズル」「ごめんね」「パズル」「ご飯作ってるの」「ブタ」そんな言う?

 

なんといっても信じ難いのが、子の言う「ブタ」が明らかに侮辱ないし煽りのニュアンスを孕んでいることだ。ここでわたしは断言しなければならないが、わたしも夫も子の面前で、ブタを引き合いに出してお互いを罵倒したりはしていない。一応言うと、子がいなくてもしていない。我々のケンカはそんなに熱烈な感じではなく、もっとジメジメしている。自宅保育の今、子の周囲の人間との関わりはまだかなり限定的で、ほとんど全てわたしの目の届く範囲で行われている。子に向かって「ブタ!」と言うような人間もいなければ、そんなやりとりを目にしたことも、ないはずだ。

なのになのにそれなのに。「歯磨きしよ」「やだ」「やだじゃないの」「やだ」「虫歯になっちゃうよ」「ブタ!?」「ブタじゃないよ」

 

ブタ、ブタじゃない、という不毛な応酬を日に何度もしていると、だんだんイライラが蓄積されていく。子は、ブタと言っていないのかもしれないし、言っていたとしても侮蔑の意味はないのかもしれない。そもそもブタ=悪口と思うのだって、よく考えたらブタに失礼な話だよな〜とか、なるべく冷静でいられるように思考してみても、浴びせられる「ブタ!?」の五月雨に返答するのも嫌になってきて、ただ子をキッと睨む、という反応になる。褒められた対応じゃないのはわかっているけどイライラは止められない。今ここでヒグマになってやろうか、と思う。手負いの。

 

そんな風に謂れのないブタ呼ばわりを数ヶ月受けた後の「ママかわいー」は、感動もひとしおである。録音して着ボイスにしたい。最近着メロも着うたも着ボイスも、全然言わないし聞かないね。電車の中や試験会場で、赤の他人の着信音に個性を感じることは、もう無いのか。わたしの高校時代の友だちは、センター模試の真っ最中に自身のケータイが少年の声で「ユリ、起きろよお〜!」と叫び出してしまい、顔面蒼白になっていた。そんな経験、ありませんか?わたしはない。

 

話を戻すと、子は一度習得した「かわいー」の対象を瞬く間に拡大し、「お父さんかわいー」「うさぎかわいー」「コップかわいー」「くっく(くつ)かわいー」と、かわいいを量産するようになった。最近は昼食のチャーハンを前にして「ひじき、かわいー!」と叫んでおり、かわいいのハードルが地面スレスレまで下降してきている。わたしはブタを脱して、ひじきと同程度にはかわいくなった、らしい。これは喜ぶべきことなのか。人間からは遠のいてないか。ひじきも鉄分の含有量ではなくかわいさを褒められて、面食らったことだろう。

 

そして「かわいー!」と言われたわたしが「ハッピー!」と返すのが定番になり、最近は返事をし忘れると「ハッピー?」と聞かれるようになった。なんて平和なのと思っていたら、夫が仕事から帰宅した音を聞きつけて「おとうさんのけはい」と言いだしたりして、急だから本当にビックリする。子の語彙はどんどん増えて、聞けばこの時期の子どもは一日一語のペースで言葉を習得するらしい。すごいすごい、生命力に溢れている。こうして生きる力を身につけていくんだね。

 

一方そのころわたしは大人と話していても「今日アチチだね」とか「おてて洗おー」とか「あんよ疲れた」言ってしまうようになった。語彙、後退している。このまま子が語彙を増やし続ける一方でわたしは後退し続けていったら、30年後にはわたしはMAXでも5語文しか話せなくなってしまう。ベンジャミンバトンってそういう話?

これじゃあいかん、わたしこそもっとインプットを増やした方がいい。そう思ったそばから今また夫に「部屋アチチくない?」と聞いてしまった。もう語彙とかではなく、文法とか全てが間違っている。なんとなく郷ひろみの気配もするし。燃えてるんだろうか。頭が。