けんしとゆきえ

先日、大学時代の友だちとリモート飲みをしていた時のこと。映画『君たちはどう生きるか』の話が出て、わたしは「オモコロの面々の評価を聞いて見たくなった、あと玄師が主題歌歌ってるから見たい」と言った。言ったところ、友だちに「米津玄師のこと、玄師って呼んでんの?(笑)」と聞かれて、ハッとした。呼んでる。

 

呼んでる!!

 

翌朝夫にその話をしたら、「あー呼んでるよね」と言われた。わたしは米津玄師が割と好きだし、我が子がレモン柄のシャツを着る度に「あの日のかな〜しみ〜さえ〜♪」と歌っては夫に無視されているくらいなので、これまでもそれなりに玄師けんし言ってたんだと思う。冷静に考えると、米津玄師を呼び捨てにする道理はない。友だちじゃあるまいし。彼に関しては、なんでこんな馴れ馴れしい呼び方をしているのか忘れてしまった。覚えているのは由紀恵を呼び捨てにするようになったきっかけだ。

 

仲間由紀恵

 

美の権化こと仲間由紀恵だが(主観)、彼女を呼び捨てにするようになった時期は明確で、高一の時だ。中高エスカレーターの女子高、わたしは持ち上がりで高校生になった「内部生」だったが、高校受験を経て合流する「外部生」もいる。出席番号が私の後ろだったAちゃんは、外部生だった。彼氏がいて、眉も整えていて、制服の着崩し方もこなれていて。全てがわたしより大人っぽく、かっこよかった。

 

そのAちゃんが安室奈美恵を「奈美恵」と呼んでおり、わたしはそれにいたく感銘を受けて仲間由紀恵のことを「由紀恵」と呼ぶようになったのである。

 

なんだそれ???

 

今改めて思い出してみると、納得感が全くない。当時の自分と全く違うAちゃんに憧れるのはわかる。でも何故そこを真似した?しかも奈美恵と関係ない由紀恵を引っ張り出してきてまで。眉の整え方でも教えてもらえば良かったのに。私はいまだに、自分の眉メイクに納得がいく日の方が少ない。

 

ここ最近は呼び捨ても違うかも、と思いはじめて「由紀恵ちゃん」と呼んでいた。それも違うだろ、とは気づきつつも呼び続けていたところ、先日旅先で彼女のポスターを見かけた。何気なく「あ、由紀恵ちゃん」と反応したら、一緒にいた友だちに「なに、友だち?」と言われた。至極真っ当なツッコミである。

 

 

これを書きながら考えてみても、米津玄師を呼び捨てにするようになったきっかけはさっぱり思い出せない。でも米津玄師を好きなのは本当で、中でも『Flamingo』と『ゴーゴー幽霊船』が大好き。『Flamingo』は、わたしが実家を出る際、市役所に転出届を出した日にリリースされた曲で、その帰りのバスで聴いた時のことを思い出す、大変エモ苦しい曲だ。

 

一方『ゴーゴー幽霊船』はシンプルに歌詞が好きだ。米津玄師に限らず、固有名詞が出てくる歌詞というのが好きで、だからこの曲の「丸善前のアンドロイド」と言う箇所にときめいて、池袋のどデカい本屋の前に佇む無機物の女性、オレンジ色のワンピースを着ている、その滑らかな肌なんかのイメージを膨らませていたー

ところが!ずいぶん後になって知ったが、玄師は実際には「回るゼンマイのアンドロイド」と歌っていたのである。丸善、全然関係なかった。全てはわたしの幻想。その衝撃も相まって、わたしの中で存在感のある曲、『ゴーゴー幽霊船』。この曲は割と古いせいか、他の曲と比べて知名度が低い気がするので、確認するためだけでも是非聴いてみてほしい。言ってるから(言ってない)。

 

このことを夫に「空耳アワードに送ってみようかな」と言ったらニコリともせずに「空耳アワーだよ」と言われた。せめて笑ってくれ。今どきアンドロイドでももうちょっと愛想いいぞ。