五月の病、六月の病

この2ヶ月、書くことがなかったわけじゃなく、むしろ楽しいことは前年比でもかなり多かった。人と会ったり、お出かけしたり。でもそういうスポット的な楽しさはせいぜい週一程度、その裏では、とにかくずっと体調が悪かった。これが本当に毎日なので、もういっそそのことをブログ書こう、そう思ってからも1ヶ月ぐらい経っている。でも書く。だってもう随分前に、半分ぐらい書いちゃったのだ。貧乏性なので、ここまで書いたんだから最後まで書いて更新しないともったいない、そう思ってしまってダラダラ書いていたら一年の半分が終わっているし、こういうのって多分貧乏性とは言わない。

 

GWに友達一家が遊びに来て、大はしゃぎで深酒をした日からお腹の調子が悪く、腹痛と食欲不振が続いて1キロちょっと痩せた。痩せようと思ってるときはびた1gも痩せないのに、「これ大丈夫?」と思って内科に行き、正直に飲み過ぎたことを話すと「レントゲンは問題なさそう、腸内環境が崩れているのかも」と言われて薬をもらった。

 

でもこれがあんまり効いてる気がしない。胃腸のトラブルじゃなければ婦人科系か、そう思って産婦人科を探すことにした。よく行く児童館の先生は当地が地元だというので、おすすめの病院情報を聞いてみた。あれこれ教えてくれてありがたかったが「わたし病気多くてさー、先週も入院して、一昨日退院したばっかり」と言うから仰天して、その瞬間だけは自分のハライタのことなんか吹っ飛んでしまった。他人の子どもなんか見てないで家で寝てろ、さもなくば雇用主を出せ!と言いたかったけどかなり抑えて「先生もご自愛くださいね」という表現に留めた。彼女ともっと親密になれたら、もう少し強めにご自愛を要請したい。そう思いつつ教えてもらった産婦人科に予約を入れた。

 

ところがその予約の前日から月の障りが起こって婦人科は受診できなくなった。振り出しに戻ってしまったけど、不調の原因はこれだったのかもしれない。ややホッとしていたら、その日の午後からだんだん息切れがする。キッチンに立つのが辛い。これはきっとあれだ、貧血だ!

わたしは子を妊娠していたころ、歩くたびに息切れをしていて、お腹が重いから仕方ないよな〜と独り合点していたところ、妊婦健診で貧血と診断された経歴がある。医者に「息切れとかなかったですか?」と言われて「してますしてます!これが貧血かあ〜〜!!」と当時ちょっとテンションが上がってしまった。貧血といえば朝礼中に倒れる、それ以外の知識がなかったのである(無知すぎ)。とにかく、その時以来の貧血だ。

 

そう考えたわたしは再び内科に行き、息切れがする、貧血だと思うから薬が欲しい、と訴えた。医者はいい人で「ところで前回言ってた腹痛はどうですか?」と聞いてくれたから、あまり良くならないと正直に伝えた。そうして気づいたらわたしは血液検査をし、検便を提出することになり、息切れに対する薬は出なかった。会計して外に出てからそれに気づいて受付まで戻り、「アノ私って貧血だったんですかね?だとしたら薬がもらえませんか?」と勇気を出して言ってみた。そうしたら良き医者はわざわざ出てきて「貧血だとしても何由来の貧血なのかがわかってから薬を飲んだ方が良い」と説明してくれた。わたしは「なるほど納得」という気持ちが1割、「あーまじか」という気持ちが9割で帰途に着いた(全然納得してない)。そして「貧血に効くツボ」というネットの情報を鵜呑みにしてツボ押しを試みたり、鉄分豊富な小松菜を食べたりと付け焼き刃な貧血対策をしてその日をやり過ごした。結局息切れのひどいのは1日だけだったし、採血の結果、貧血でもなかった。気になる腹痛は、この間は完全に生理痛に押しやられてそれどころではなかった。おまけに今気づいたけど、検便の結果、聞いてない。

 

ようやく月の障りが鎮まった5月の最後の週末、夫と子に留守を任せて1泊で外泊をした。気持ちの問題もあるのだろうけど、雲の切れ間のように奇跡的に体調が良く、久しぶりの友人との再会これでもかと楽しみ、密な時間を過ごした。

 

おそらく、気が緩んでいたのだろう。

 

帰宅した翌日の月曜日に発熱し、火曜の午前中にまた内科。3週間連続、しかも全部別件で受診してしまった。普段、発熱ぐらいなら寝て治すわたしだけど、インフルエンザが流行っていると聞いていたので念のため調べてもらいに来たのだ。そうしたら、そっちじゃない方の5類の病だった。

 

半ば呆然としながら帰宅してからあちこち消毒して食事も就寝も分けたけれど時すでに遅し。水曜日の夜に子が発熱、木曜日の夜に夫が喉が痛いと言い出す。順番に病院にかかり、それぞれでバッチリコロナ感染を宣言された。幸い誰も重症化しなかったのだが、この災いを我が家にもたらしたのが明らかに「わたしが遊びに行った」ことが原因であることが、今もわたしを落ち込ませる。ちなみに同じ頃、当地は市内で避難指示が出るほどの豪雨に見舞われ、知人友人から多くのご心配の声をいただいたが、正直なところ我が家は雨どころではなく「へえ、そんなに降ったの」という感想しか抱けずにいた。心配しがいのない奴。

 

ここまでのだいたいを、実は6月頭に書いていたのだけれど。更新できなかったのは、これで終わりじゃなかったからだ。一応、元気になって締めたいという思いがあったのに(散々体調が悪い悪いと書いて、最後死んだら後味が悪いから)、体調不良はまだまだ続く。今度は夫も道連れに。

 

かかった順にコロナから回復し、これで安心と思った6月最初の週末。家族で訪れたイオンで夫がお腹の調子が悪いと言い出し、そこからしばらく「生活を回す大人の一員」としては全く使い物にならなくなった。出勤はするものの、そもそも無理をしているので、帰ってくると碌に食事もとらずに寝てしまう。必然、家事育児と看病はわたしが一手に引き受けることになる。疲れが溜まる。加えて夫は翌週「実は少し前から耳の調子が悪い、治らないから出張前に耳鼻科に行く」と言い出した。心配だった。本当に心配すぎて、でも正直「勘弁してくれ」という気持ちもあって…ストレスだろうか、わたしまでお腹を壊した。その腹痛を皮切りに、わたしの身体を頭痛、咳、喉の痛み、不眠などのあらゆる風邪の諸症状が駆け抜けていき、何が何だかわからなくなっているところに月の障り。前回からもうひと月経ったのか、状況が全く改善してないなと思ったらそれは生理ですらなく、原因不明の不正出血だった。目も当てられないとはこのことだ。飲まなきゃやってらんねぇ、そう思っても具合が悪くて酒が飲めない。

唯一の救いは子がずっと元気だったことだ。これで子までめくるめく体調不良に見舞われていたら、わたしは救いを求めて新興宗教にのめり込んでいたかもしれない。

 

6月の第三週、ギリギリのところで腹痛を治して夫は1週間の海外出張に旅立った。その間わたしは帰省して、母にすすめられた胃薬を飲んだところ、これがテキメンに効いたらしく、帰省後半は酒が飲めるまでに回復した。家事の負担が軽減したのも良かったのかもしれない。夫も出張先のスロベニアで元気そうにしていて安心だ。この話をすると必ず「スロベニアってどこ?」と聞かれる。わたしも知りませんでしたが、イタリアの右隣だそうです。ちなみに何人かには「チェコの隣?」と聞かれたが、それはスロバキアである。

 

とにかく、これで元気に家族は再会できる。

 

そう思ったのに。

家族揃って自宅に帰ってからも、夜になるとわたしの咳が止まらない日がある。日がある、だけだから始末が悪く、治ったかも、と思うとその日の夜はぶり返す。その繰り返しで時間を無駄にした後、6月の最終日にわたしも耳鼻科に行った。そこではアレルギー系か風邪系か、とにかくどっちの咳にも対応できるようにと薬が3種類、計50錠出た。この耳鼻科は信頼してお世話になっているが、いつも薬が山ほど出るのでびっくりする。ついでに今回、初めて耳鼻科で子の耳掃除をしてもらったら、左耳から「塩 ひとつまみ」ぐらいの量の耳垢がゴッソリ取れて衝撃を受けた。普段わたしのしていた耳掃除、全然意味なかったんかい。

 

もらった薬のどれが効いたのか、ここ数日で咳が出なくなり、苦節2ヶ月、やっとの思いでわたしは「元気」にたどり着いた。長かった。朝起きてもどこも痛くなく、きちんとお腹が空き、夜はすんなり眠れる。アラサーになってから日増しに感じていた「健康第一」の重みが、また激増した。こういう感慨って還暦過ぎぐらいからだと思ってたら、倍以上早かった。こんな調子では、わたしは還暦まで生きられるのかも怪しい。

 

ところで夫がスロベニアと、乗り継ぎで使ったパリの空港で大量のお菓子を買って来た。わたしはわたしで実家からお菓子をもらい、加えて祖父母から暑中お見舞いにデパ地下スイーツが届いたり、ついでに近くのパン屋のポイントカードがいっぱいになってラスクを貰ったりしたもんだから、現在うちはお菓子が大発生している(そんな害虫みたいに)。大量すぎて置き場所がなく、段ボールを一つリビングに置いてそこに溜め込んでいるのだが、子が取り出して遊ぶので、毎日リビングの床に季節のフルーツゼリーやら何やらが散乱している。この状態で、わたしは5月に減らした1キロをどこまでキープできるだろうか。どなたかお客様の中に、一緒にお菓子を消費してくださる方はいらっしゃいませんか。当方、既にピエールエルメのマカロン8個を1人で食べてしまい、7月中に糖尿病になりそうです。