結婚して、姓が変わった。画数が飛躍的に増え、書く手間が体感8倍ぐらいになっただけで、得たメリットは特にない。正確な書き順も未だに知らない。
そう思っていた。今朝まで。
節分の日、実家は豆まきを毎年やっていた。わたしが物心ついた時にはすでに始まっていて、25で家を出るまで毎年。そして結婚後、わたしと夫の築く家庭にそのシステムは導入されていない。理由は簡単で、楽しくないから。
そもそも、中学生ぐらいからは豆まきをするのが恥ずかしかった。実家では親がお面をつけて鬼に扮するのではなくて、家族みんなで概念としての「鬼」に豆をぶつけた。玄関から始めて、4人でゾロゾロと全ての部屋を周り、それぞれの部屋の一番大きな窓からかわりばんこに「鬼は外ー!」と大きく元気な声で豆を撒く。そんなことが思春期の人間に楽しいわけがない。周りの家から「鬼は外ー!」が聞こえたことはなかったし、ご近所に「あらまああそこのお嬢さん、元気ねえウフフ」と思われるのも恥ずかしかった。
そしてわたしは、福豆が好きじゃない。大豆のミイラだから。今思えば全部ゴリゴリにすり潰してきな粉にして、ストローで鼻から吸引したらよかったかもしれない。歳の回数分だけ。そんな好きでもない豆を、わざわざ床から拾って食べるなんて。
楽しい、
わけが、
ない。
ついでに恵方巻きも食べたことがない。そしてこの話をする時いつも、「我らが小さいときこんな文化あった?中学生ぐらいからじゃない?」と言ってしまう。これは関東育ちのアラサーであるわたしにとっては真実なんだけど、数年前に職場でその話をしたら新卒の後輩にポカンとされたので、「これが〈〈〈世代間格差〉〉〉!!」と思った。でもその後輩は本物のフロッピーディスクを見たことがあるらしい。どこで?
そんな感じでここ数年、節分とはすっかり疎遠にしていた。
そんなわたしでも、自我を持ち始めた子がいる今、「日本の文化を経験させてあげるべきか…?」と殊勝な気持ちはないでもなく、スーパーでは一応福豆をチラ見したりしていた。でも今年始めたら。もう戻れない。やめ時がない、子が家を出るまで毎年、好きでもない福豆を買って。掃除を大変にして。うちの親も、同じ気持ちだったのかもしれない。パパ、ごめん…。
と、些細なことなのに、というか深く考えずに今年だけでもやればいいのに、それができずにウダウダしていた。実家の方式を取り入れなくても、夫にお面をかぶってもらえば。でもそれで子がトラウマになったら?豆が嫌いなら落花生を撒けば。でも子は落花生のアレルギーチェックをしてないし、もし拾いそびれて誤飲でもしたら?じゃあもう、やんなくていいよ。でも、日本の文化を一つ知らずに大きくなっちゃうの…?
嗚呼、、、
そんな悩めるわたしに向けて、神の導きか、今朝のラジオがこう言った。
「〇〇と△△という苗字は、平安時代に鬼をたくさん倒したから鬼に恐れられていて、豆まきは必要ない、という説があります」
こ、、、
コレダ、、、、
まさにお誂え向きの、豆まきをしない理由。この理由なら、伝統と文化を子に伝えつつ、でもうちはしません、が正当な言い分として通る。願ったり叶ったりだ。福豆も食べなくていい!!
夫には「うちは最強の一族なので豆まきをしない」を採用します!と宣言するついでに「改姓してこれが一番嬉しいかも」と言ったら、「旧姓だって何か免除されてたのかもよ」と言われた。もし免除されてるなら、何がよかっただろう?「地域の草むしり」だったら、そっちの方が良かったかもしれないし、夫が改姓したかもしれない。そんなことを思いながらハンバーグを食べました。恵方巻きは明日半額になっていたら、買ってみようか。