春の話、夏の話

春。

花は咲き乱れ、鳥が歌い、産めよ増やせよ生命、桜咲いたら一年生。そんな季節。春の陽気に誘われて、春の行楽へ。春の装いで。春の交通安全運動を守って。春のトクトクキャンペーンでレジャーシートなど当てて。このキャンペーンはわたしが今適当に考えた言葉だが、試しに検索したら23万件がヒットした。

 

「春の」という接頭辞はその後に続く言葉を楽しいものにする。そう、何となく信じていたけれど、先日この定説を覆す言葉がうちの郵便受けに滑り込んだ。それが回覧板の中に挟まっていた「春の側溝清掃のお知らせ」。

一回スルーしたけれど、やっぱりジワジワおかしい。春の、なんだって?

 

 

楽しい春はまだまだ思いつく。

最初に誰もが思い浮かべる「春のパン祭り」。

まずパンというだけでご飯の3倍はウキウキするのに(謝れ、今すぐ)「春の+祭り」で楽しくないわけがない。ただ皿には何の感情もないので、参加したことはない。

 

次に懐かしの「春の大運動会」。

わたしは大小問わず運動会を楽しいと思ったことはないけれど、楽しいと思う人も大勢いることはわかる。それにリレーなんかを応援するのはわたしも好きだった。要は運動音痴なのだ。あと放課後にやる応援合戦の練習も嫌いだった。なんで授業中にやらない??

 

「春はあげもの」。

わたしのオリジナルだったらよかったんだけど、違う。ずいぶん前に電車内で掲示されていたサントリー角ハイの広告。井川遥が微笑む横に串カツかなんかがジュワと揚がっていた。このコピーを初めて見た時に「上手い!」と思って、それで今でも心に残っている。三十路になってもやっぱり揚げ物はテンションが上がる。ただし、量は全然食べられない。

 

「春のうららの隅田川

「上り下りの船人が」

「櫂の雫も花と散る」

「流れを何に例うべき」(長い)

わたしはこの曲を中三の音楽の授業で習って以来、洗い物する時とかに歌っては「名曲だなぁ…」としみじみしている。 100年歌い継がれよ、滝廉太郎。そう思って調べたらもう123年歌い継がれていた。そして墨田区の区民歌らしい。墨田区民、羨ましい。万が一知らない方がいたら、YouTubeで「花 滝廉太郎」で検索しよう!あなたの人生は、より豊かになります(急に怖)。

 

スピッツの歌う「春の歌 愛と希望より前に響く」。

スピッツあんまわかんなくて、この曲もほとんどうろ覚え。でもこの短いフレーズの中で「春」の後には「歌」「愛」「希望」と、この世の明るさがギュッと詰まっているんだから、春のポテンシャルは底が知れない。あとスピッツは今年のコナンの映画で主題歌を歌ってるよね!(付け焼き刃)

 

こんなにも楽しい「春の〇〇」。

それではここでもう一度ご覧いただきましょう、

「春の側溝清掃」。

 

シラ〜。

 

そんなに引きのない春があるかい。側溝清掃なんて、春の陽気から最も遠いところにある存在だろ。そう「陽気」。春は陽気なのだ。側溝清掃には、陽気さが一切ない。七三分けのガリ勉。それが悪いとは言わないけれど、やっぱり春とは不釣り合いだよね。ピクニックの方がお似合いだよ、側溝清掃は身の程を知った方がいいよ。悪役(わたし)がここまで言ったところで、ヒロインこと「春」が物陰から飛び出してきて、「不釣り合いとか勝手に決めないでよ、わたしが彼を好きなんだもん」と冴えない「側溝清掃」の前に立ち塞がる。

そのミスマッチがおかしくて、

でも愛おしくて(なにこの茶番)。

 

そんなことでクスリと笑った数日後、当地は27度まで気温が上がり、夫と2人ざわついた。まだまだ、4月だぞ。

一年前にこの地に引っ越してきて、なにに驚いたって夏の暑さだ。わたしの人生において、ここは五つ目の居住地だけど、どこよりも暑い。母方の祖父母が住むのは、夏になればその暑さの凄まじさが必ずニュースになる地域だけど、そこよりも暑い。クソ暑い。玄関を出た瞬間に「死」が脳裏をよぎるような、そういう暑さだ。ニューカレドニアが「天国に一番近い島」ならここは「地獄に一番近い半島」だ。

しかも後から調べたら半島には隣の市までしか入ってなかった。じゃあ「半島に一番近い地獄」でいいよもう(良くない、なにも)。

 

件の夏日には夫が「こんなに暑いともう、四季じゃないね」と言い出し、そうだね夏と冬の二季だね、という思いで「うん」と言ったら、「もうこれは、五季」と返される。そっちかい。

とはいえその言い分に異論はない。夫が五季を「春、夏、真夏、秋、冬」だと言うので、「夏が被っててわかりにくいから、真夏はやめて地獄にしよう」とだけ改善案を入れた。「春、夏、地獄、秋、冬」。何かを改善して「地獄」になることって、あるんだね。

 

そんなことをダラダラ書いている間に5月になり、ジワリ、夏も近づく八十八夜。あと3ヶ月もすれば、地獄に地獄がやってくる。