五月の病、六月の病

この2ヶ月、書くことがなかったわけじゃなく、むしろ楽しいことは前年比でもかなり多かった。人と会ったり、お出かけしたり。でもそういうスポット的な楽しさはせいぜい週一程度、その裏では、とにかくずっと体調が悪かった。これが本当に毎日なので、もういっそそのことをブログ書こう、そう思ってからも1ヶ月ぐらい経っている。でも書く。だってもう随分前に、半分ぐらい書いちゃったのだ。貧乏性なので、ここまで書いたんだから最後まで書いて更新しないともったいない、そう思ってしまってダラダラ書いていたら一年の半分が終わっているし、こういうのって多分貧乏性とは言わない。

 

GWに友達一家が遊びに来て、大はしゃぎで深酒をした日からお腹の調子が悪く、腹痛と食欲不振が続いて1キロちょっと痩せた。痩せようと思ってるときはびた1gも痩せないのに、「これ大丈夫?」と思って内科に行き、正直に飲み過ぎたことを話すと「レントゲンは問題なさそう、腸内環境が崩れているのかも」と言われて薬をもらった。

 

でもこれがあんまり効いてる気がしない。胃腸のトラブルじゃなければ婦人科系か、そう思って産婦人科を探すことにした。よく行く児童館の先生は当地が地元だというので、おすすめの病院情報を聞いてみた。あれこれ教えてくれてありがたかったが「わたし病気多くてさー、先週も入院して、一昨日退院したばっかり」と言うから仰天して、その瞬間だけは自分のハライタのことなんか吹っ飛んでしまった。他人の子どもなんか見てないで家で寝てろ、さもなくば雇用主を出せ!と言いたかったけどかなり抑えて「先生もご自愛くださいね」という表現に留めた。彼女ともっと親密になれたら、もう少し強めにご自愛を要請したい。そう思いつつ教えてもらった産婦人科に予約を入れた。

 

ところがその予約の前日から月の障りが起こって婦人科は受診できなくなった。振り出しに戻ってしまったけど、不調の原因はこれだったのかもしれない。ややホッとしていたら、その日の午後からだんだん息切れがする。キッチンに立つのが辛い。これはきっとあれだ、貧血だ!

わたしは子を妊娠していたころ、歩くたびに息切れをしていて、お腹が重いから仕方ないよな〜と独り合点していたところ、妊婦健診で貧血と診断された経歴がある。医者に「息切れとかなかったですか?」と言われて「してますしてます!これが貧血かあ〜〜!!」と当時ちょっとテンションが上がってしまった。貧血といえば朝礼中に倒れる、それ以外の知識がなかったのである(無知すぎ)。とにかく、その時以来の貧血だ。

 

そう考えたわたしは再び内科に行き、息切れがする、貧血だと思うから薬が欲しい、と訴えた。医者はいい人で「ところで前回言ってた腹痛はどうですか?」と聞いてくれたから、あまり良くならないと正直に伝えた。そうして気づいたらわたしは血液検査をし、検便を提出することになり、息切れに対する薬は出なかった。会計して外に出てからそれに気づいて受付まで戻り、「アノ私って貧血だったんですかね?だとしたら薬がもらえませんか?」と勇気を出して言ってみた。そうしたら良き医者はわざわざ出てきて「貧血だとしても何由来の貧血なのかがわかってから薬を飲んだ方が良い」と説明してくれた。わたしは「なるほど納得」という気持ちが1割、「あーまじか」という気持ちが9割で帰途に着いた(全然納得してない)。そして「貧血に効くツボ」というネットの情報を鵜呑みにしてツボ押しを試みたり、鉄分豊富な小松菜を食べたりと付け焼き刃な貧血対策をしてその日をやり過ごした。結局息切れのひどいのは1日だけだったし、採血の結果、貧血でもなかった。気になる腹痛は、この間は完全に生理痛に押しやられてそれどころではなかった。おまけに今気づいたけど、検便の結果、聞いてない。

 

ようやく月の障りが鎮まった5月の最後の週末、夫と子に留守を任せて1泊で外泊をした。気持ちの問題もあるのだろうけど、雲の切れ間のように奇跡的に体調が良く、久しぶりの友人との再会これでもかと楽しみ、密な時間を過ごした。

 

おそらく、気が緩んでいたのだろう。

 

帰宅した翌日の月曜日に発熱し、火曜の午前中にまた内科。3週間連続、しかも全部別件で受診してしまった。普段、発熱ぐらいなら寝て治すわたしだけど、インフルエンザが流行っていると聞いていたので念のため調べてもらいに来たのだ。そうしたら、そっちじゃない方の5類の病だった。

 

半ば呆然としながら帰宅してからあちこち消毒して食事も就寝も分けたけれど時すでに遅し。水曜日の夜に子が発熱、木曜日の夜に夫が喉が痛いと言い出す。順番に病院にかかり、それぞれでバッチリコロナ感染を宣言された。幸い誰も重症化しなかったのだが、この災いを我が家にもたらしたのが明らかに「わたしが遊びに行った」ことが原因であることが、今もわたしを落ち込ませる。ちなみに同じ頃、当地は市内で避難指示が出るほどの豪雨に見舞われ、知人友人から多くのご心配の声をいただいたが、正直なところ我が家は雨どころではなく「へえ、そんなに降ったの」という感想しか抱けずにいた。心配しがいのない奴。

 

ここまでのだいたいを、実は6月頭に書いていたのだけれど。更新できなかったのは、これで終わりじゃなかったからだ。一応、元気になって締めたいという思いがあったのに(散々体調が悪い悪いと書いて、最後死んだら後味が悪いから)、体調不良はまだまだ続く。今度は夫も道連れに。

 

かかった順にコロナから回復し、これで安心と思った6月最初の週末。家族で訪れたイオンで夫がお腹の調子が悪いと言い出し、そこからしばらく「生活を回す大人の一員」としては全く使い物にならなくなった。出勤はするものの、そもそも無理をしているので、帰ってくると碌に食事もとらずに寝てしまう。必然、家事育児と看病はわたしが一手に引き受けることになる。疲れが溜まる。加えて夫は翌週「実は少し前から耳の調子が悪い、治らないから出張前に耳鼻科に行く」と言い出した。心配だった。本当に心配すぎて、でも正直「勘弁してくれ」という気持ちもあって…ストレスだろうか、わたしまでお腹を壊した。その腹痛を皮切りに、わたしの身体を頭痛、咳、喉の痛み、不眠などのあらゆる風邪の諸症状が駆け抜けていき、何が何だかわからなくなっているところに月の障り。前回からもうひと月経ったのか、状況が全く改善してないなと思ったらそれは生理ですらなく、原因不明の不正出血だった。目も当てられないとはこのことだ。飲まなきゃやってらんねぇ、そう思っても具合が悪くて酒が飲めない。

唯一の救いは子がずっと元気だったことだ。これで子までめくるめく体調不良に見舞われていたら、わたしは救いを求めて新興宗教にのめり込んでいたかもしれない。

 

6月の第三週、ギリギリのところで腹痛を治して夫は1週間の海外出張に旅立った。その間わたしは帰省して、母にすすめられた胃薬を飲んだところ、これがテキメンに効いたらしく、帰省後半は酒が飲めるまでに回復した。家事の負担が軽減したのも良かったのかもしれない。夫も出張先のスロベニアで元気そうにしていて安心だ。この話をすると必ず「スロベニアってどこ?」と聞かれる。わたしも知りませんでしたが、イタリアの右隣だそうです。ちなみに何人かには「チェコの隣?」と聞かれたが、それはスロバキアである。

 

とにかく、これで元気に家族は再会できる。

 

そう思ったのに。

家族揃って自宅に帰ってからも、夜になるとわたしの咳が止まらない日がある。日がある、だけだから始末が悪く、治ったかも、と思うとその日の夜はぶり返す。その繰り返しで時間を無駄にした後、6月の最終日にわたしも耳鼻科に行った。そこではアレルギー系か風邪系か、とにかくどっちの咳にも対応できるようにと薬が3種類、計50錠出た。この耳鼻科は信頼してお世話になっているが、いつも薬が山ほど出るのでびっくりする。ついでに今回、初めて耳鼻科で子の耳掃除をしてもらったら、左耳から「塩 ひとつまみ」ぐらいの量の耳垢がゴッソリ取れて衝撃を受けた。普段わたしのしていた耳掃除、全然意味なかったんかい。

 

もらった薬のどれが効いたのか、ここ数日で咳が出なくなり、苦節2ヶ月、やっとの思いでわたしは「元気」にたどり着いた。長かった。朝起きてもどこも痛くなく、きちんとお腹が空き、夜はすんなり眠れる。アラサーになってから日増しに感じていた「健康第一」の重みが、また激増した。こういう感慨って還暦過ぎぐらいからだと思ってたら、倍以上早かった。こんな調子では、わたしは還暦まで生きられるのかも怪しい。

 

ところで夫がスロベニアと、乗り継ぎで使ったパリの空港で大量のお菓子を買って来た。わたしはわたしで実家からお菓子をもらい、加えて祖父母から暑中お見舞いにデパ地下スイーツが届いたり、ついでに近くのパン屋のポイントカードがいっぱいになってラスクを貰ったりしたもんだから、現在うちはお菓子が大発生している(そんな害虫みたいに)。大量すぎて置き場所がなく、段ボールを一つリビングに置いてそこに溜め込んでいるのだが、子が取り出して遊ぶので、毎日リビングの床に季節のフルーツゼリーやら何やらが散乱している。この状態で、わたしは5月に減らした1キロをどこまでキープできるだろうか。どなたかお客様の中に、一緒にお菓子を消費してくださる方はいらっしゃいませんか。当方、既にピエールエルメのマカロン8個を1人で食べてしまい、7月中に糖尿病になりそうです。

春の話、夏の話

春。

花は咲き乱れ、鳥が歌い、産めよ増やせよ生命、桜咲いたら一年生。そんな季節。春の陽気に誘われて、春の行楽へ。春の装いで。春の交通安全運動を守って。春のトクトクキャンペーンでレジャーシートなど当てて。このキャンペーンはわたしが今適当に考えた言葉だが、試しに検索したら23万件がヒットした。

 

「春の」という接頭辞はその後に続く言葉を楽しいものにする。そう、何となく信じていたけれど、先日この定説を覆す言葉がうちの郵便受けに滑り込んだ。それが回覧板の中に挟まっていた「春の側溝清掃のお知らせ」。

一回スルーしたけれど、やっぱりジワジワおかしい。春の、なんだって?

 

 

楽しい春はまだまだ思いつく。

最初に誰もが思い浮かべる「春のパン祭り」。

まずパンというだけでご飯の3倍はウキウキするのに(謝れ、今すぐ)「春の+祭り」で楽しくないわけがない。ただ皿には何の感情もないので、参加したことはない。

 

次に懐かしの「春の大運動会」。

わたしは大小問わず運動会を楽しいと思ったことはないけれど、楽しいと思う人も大勢いることはわかる。それにリレーなんかを応援するのはわたしも好きだった。要は運動音痴なのだ。あと放課後にやる応援合戦の練習も嫌いだった。なんで授業中にやらない??

 

「春はあげもの」。

わたしのオリジナルだったらよかったんだけど、違う。ずいぶん前に電車内で掲示されていたサントリー角ハイの広告。井川遥が微笑む横に串カツかなんかがジュワと揚がっていた。このコピーを初めて見た時に「上手い!」と思って、それで今でも心に残っている。三十路になってもやっぱり揚げ物はテンションが上がる。ただし、量は全然食べられない。

 

「春のうららの隅田川

「上り下りの船人が」

「櫂の雫も花と散る」

「流れを何に例うべき」(長い)

わたしはこの曲を中三の音楽の授業で習って以来、洗い物する時とかに歌っては「名曲だなぁ…」としみじみしている。 100年歌い継がれよ、滝廉太郎。そう思って調べたらもう123年歌い継がれていた。そして墨田区の区民歌らしい。墨田区民、羨ましい。万が一知らない方がいたら、YouTubeで「花 滝廉太郎」で検索しよう!あなたの人生は、より豊かになります(急に怖)。

 

スピッツの歌う「春の歌 愛と希望より前に響く」。

スピッツあんまわかんなくて、この曲もほとんどうろ覚え。でもこの短いフレーズの中で「春」の後には「歌」「愛」「希望」と、この世の明るさがギュッと詰まっているんだから、春のポテンシャルは底が知れない。あとスピッツは今年のコナンの映画で主題歌を歌ってるよね!(付け焼き刃)

 

こんなにも楽しい「春の〇〇」。

それではここでもう一度ご覧いただきましょう、

「春の側溝清掃」。

 

シラ〜。

 

そんなに引きのない春があるかい。側溝清掃なんて、春の陽気から最も遠いところにある存在だろ。そう「陽気」。春は陽気なのだ。側溝清掃には、陽気さが一切ない。七三分けのガリ勉。それが悪いとは言わないけれど、やっぱり春とは不釣り合いだよね。ピクニックの方がお似合いだよ、側溝清掃は身の程を知った方がいいよ。悪役(わたし)がここまで言ったところで、ヒロインこと「春」が物陰から飛び出してきて、「不釣り合いとか勝手に決めないでよ、わたしが彼を好きなんだもん」と冴えない「側溝清掃」の前に立ち塞がる。

そのミスマッチがおかしくて、

でも愛おしくて(なにこの茶番)。

 

そんなことでクスリと笑った数日後、当地は27度まで気温が上がり、夫と2人ざわついた。まだまだ、4月だぞ。

一年前にこの地に引っ越してきて、なにに驚いたって夏の暑さだ。わたしの人生において、ここは五つ目の居住地だけど、どこよりも暑い。母方の祖父母が住むのは、夏になればその暑さの凄まじさが必ずニュースになる地域だけど、そこよりも暑い。クソ暑い。玄関を出た瞬間に「死」が脳裏をよぎるような、そういう暑さだ。ニューカレドニアが「天国に一番近い島」ならここは「地獄に一番近い半島」だ。

しかも後から調べたら半島には隣の市までしか入ってなかった。じゃあ「半島に一番近い地獄」でいいよもう(良くない、なにも)。

 

件の夏日には夫が「こんなに暑いともう、四季じゃないね」と言い出し、そうだね夏と冬の二季だね、という思いで「うん」と言ったら、「もうこれは、五季」と返される。そっちかい。

とはいえその言い分に異論はない。夫が五季を「春、夏、真夏、秋、冬」だと言うので、「夏が被っててわかりにくいから、真夏はやめて地獄にしよう」とだけ改善案を入れた。「春、夏、地獄、秋、冬」。何かを改善して「地獄」になることって、あるんだね。

 

そんなことをダラダラ書いている間に5月になり、ジワリ、夏も近づく八十八夜。あと3ヶ月もすれば、地獄に地獄がやってくる。

くぅちゃんの食生活

たいてい土曜日に、家族揃って買い出しに出かける。午前中から行くこともあれば、夕方、子がお昼寝から起きてから行くこともある。マツキヨで日用品、その後スーパーで食料品。時間があればスーパーと同じモールに入った無印良品を冷やかす。その無印は冷凍食品もあるし、本もあるし、なぜか時々朝採れミニトマトもある。他県の無印良品で長年バイトをしている義弟によれば、これは数ある無印の中でもトップクラスの品揃え、選ばれし無印らしい。それがなぜ、こんなド住宅街のど真ん中に?と思うけれども、何にせよありがたい話だ。無印はブラブラするだけで楽しい。カレーの棚だけで半日潰せる(言い過ぎ)。

 

その無印の下の階に、我が家の食生活の95%を担うスーパーがある。いつも混んでいて買い物に時間がかかるけど、活気があって良い。ひっきりなしに店内放送でお買い得情報がアナウンスされ、それとは別に野菜売り場、魚売り場のお兄さんが地声でおすすめ商品を連呼している、そういうタイプのスーパーだ。とにかくファミリー層に振った品揃えで、何もかもが大容量で売られている。りんごは6個入り、人参は7本入り、ジャガイモは10個入り、ミニトマトに至ってはこれ40個ぐらい入ってない?といった具合に。しかも恐ろしいことにうちはそのミニトマトを買うし、一週間で食べ切る。3人家族でよ!?書いてて怖くなってきた。野菜はいいとしても、個人的にはお刺身の少量パックが欲しい。少しずつ何種類か食べたいのに、小学生の筆箱みたいなサイズの柵しか売ってない。単身世帯の近隣住民はこの大盤振る舞いをどう考えているのか。

 

この豪快なスーパーで先週末、わたしがカットトマト缶を手に取ったとき、忘れられない出来事があった。トマト缶が余ったときは、ジップロックに密封して平らにして冷凍しよう!そうすると次回から、使いたい分を手で折って使えます♪(突然のライフハック

 

「青果コーナーよりご案内です、」と店内放送が入った。男性の、元気ハツラツというよりは、ちょっと落ち着いたトーンの声。くたびれ感が滲んでいる、とも言える。こんなに混んでるスーパーの、もう夕方の5時だもんね、そりゃ疲れるよねと一抹の同情を感じながら耳を傾ける。「タイムセールで苺1パック348円以下」とかだったら夫を派遣しようと思っていた、ところがアナウンスは、思いもかけない方向へと進む。

「本日、最寄り駅前の文化センターにて、倖田來未さんがライブをしているということであります」。

 

は??????????????

なんだ、どうした。思考は一気にそっちへ持っていかれる。なぜファミリー向けスーパーの青果担当者が、くぅちゃんのライブ情報を。書面だったら二度見するが、音声情報なのでそれができない。駅が混みすぎて機能停止したのか、パニックでも起きたのか。でもここは駅でのトラブルに言及するほど駅近ではない。それとも倖田來未にちなんで何かがセールになるのか。倖田來未にちなんで安くなりそうなものって、何?一瞬でいろいろな可能性が脳内を横切っていく。周りも耳をそばだてている、気がする。

 

かつてない集中力で皆が店内放送に耳を傾ける中、青果担当者は続けたー

倖田來未さんが、カットフルーツをお好きかどうか、わかりませんけれども」

「本日、カットフルーツがお買い得です」

ーわたしが言葉を失っている間に、夫はバッサリ「上手くないね」と言った。

 

夫の意見に異論はないが、咄嗟に口から出たのは「上手くないけどさ、そういう…一言添えようとしてくれる気持ちが嬉しいじゃん」だった。夫は素直に「たしかに」と納得し、それ以上に自分が「たしかに」と思った。

この「たしかに感」はなんだろう?紐解くと、つまりこれが「サービス」というものなのでは、と思い至る。例えるなら東海道新幹線で時々教えてもらえる「富士山が綺麗に見えています」みたいな。なくていいけど、あったらちょっと嬉しい。またこの青果担当者のひとひねりは「カットフルーツを売ってやろう」「上手いこと言ってやろう」という気負いがなく「ちょっと何か付け足してみよっかな」ぐらいのラフさだった。ウケたい、という圧があんまりなかったのが良かったのかもしれない。これで実はめちゃくちゃウケ狙いだったら申し訳ない。

 

さて件のカットフルーツを通りすがりに見たら、ハンドタオルぐらいある透明パッケージにパインが敷き詰められ、その上にブドウやらイチゴやらがピザの要領で配置されていた。3つ4つ買えばビジネスホテルの朝食バイキングになり得る規模だ。一体誰がこれを、と思うけど、これだって当然売れると見込まれて販売されているわけで。ということは、我が家は世間と比べてフルーツ消費量が極端に少ないのだろうか。そもそも大きさ以前にわたしの中では、カットフルーツが「安いから買っとく?」に結びつかない。とにかくこれはうちでは買えないよ、元あった場所に戻してきなさい。

だからそのアナウンスを聞いてカットフルーツを購入した客がいたのか、正直なところ疑問だ。でもうちみたいに、なに今の放送、変なの(笑)と、心を動かされた客は多いんじゃないか。これから帰ってバタバタ夜ご飯作る前に、その一瞬があったなら、それって結構価値あるサービスだったんじゃなかろうか。面白いかどうかはさておき(あんま言うなって)。しかも今気づいたけど、わたしは今後その店の店内放送を結構真剣に聞いてしまうと思う。ちくしょう!まんまと!

 

ところで、最寄り駅は別にターミナルでも何でもないから、「本当にここにくぅちゃんが?」と思って調べたら、本当だった。週末も駅前のホテルとかに泊まってたんだろうか。そう思うとちょっとドキドキする。それとも、遠くてももっとラグジュアリーなホテルに泊まるのかな。朝食バイキングとか、行くのかな。朝日の差し込む朝食会場の広いテーブルで、カットフルーツを食べる倖田來未、とても画になりそう。偏見だけどパインとか好きそう。でもそんな風にいきなり倖田來未が現れたら、それこそパニックが起きちゃうかもしれない。そんなときはぜひうちの最寄りのスーパーでメガ盛りのカットフルーツをお買い求めくださいーそういう需要に応える、あの店の、あのサイズなんだろうか。

有馬温泉の思い出

この世に一世帯だけ「家族ぐるみの付き合い」をしているご家族があり、先日一緒に有馬温泉に行ってきた。友人はSさん、その夫をO先生という。彼らとはもともと「夫婦ぐるみの付き合い」があり、数回旅行に行ったこともあるが、最後に旅行したのは3年近く前だ。その後お互い子が生まれ、コロナが流行を繰り返し、戦争が始まり、我が家は県外へ引っ越し、物価上昇は止まるところを知らない。明らかに旅行の難易度が爆上がっているのに、実現に至ったことが嬉しい。

 

本当に!!!嬉しい!!!!!!!!!

(伝わらなそうだったので)

 

旅行に限らず子連れのイベントは、まず「元気で当日を迎える」という関門を突破しなければならない。そのためわたしは当日までの数週間、鬼気迫る表情で子の手を洗い、神に祈りながら朝晩の検温をし、普段と違うことをしないよう細心の注意を払って「日常」をこなした。そして何より自分の高揚を隠すのに全神経を集中していた。「親が浮き足立つと子は体調を崩す」説を信じているからだ。子の前では旅行の話もしないようにした。にもかかわらず夫が「着替え、どうする?」「オムツ、いくついるかな?」と無邪気に聞いてくるから、「天気次第」「16枚」と能面のような顔で答えていた。まったくこれでは、平常心とは程遠い。まだまだ鍛錬が足らない。けれどそんなわたしをファミリーイベントの神は哀れに思ったのか、子はあらゆる風邪の諸症状を回避して当日を迎えた。

 

有馬温泉に向かう電車は、なにやら若人で混んでいた。大所帯の男子大学生はみんなGUのカーディガン(決めつけ)を着て鮮やか。電車が有馬温泉駅に着くと、彼らもゾロゾロと降りていった。卒業旅行かな〜なんて思っていたら、駅を出てすぐ、アーチ状に架けられた橋に座って集合写真を撮っており、「あらあら、楽しいねぇ〜」と目を細めてしまう。そんな母性の発作を起こしていると、O先生が「あれだけ人数いたら、中には仲良くない人もいるでしょうね」と言うので、「それもまた、若者の真理!」と妙に感動してしまって、頭の中でフジファブリックが流れた。

 

ところで有馬温泉、意外と若者にウケているようだ。炭酸せんべいのお店に行列ができていたり、お洒落なクラフトビールのお店があったりと、意外と盛えている。もっとこうその全盛期を過ぎた温泉街なのかなってね、思ってたから!いい意味で!いい意味でね!!

とにかくこの賑わいは嬉しい予想外だった。道端にある定員8名の足湯にはどう見ても20名ぐらいが鮨詰めになっていて笑ってしまった。関西の学生さんにとって、関東でいう箱根みたいな立ち位置なのかな、と予想する。

 

宿にチェックインしてSさんと温泉へ。大浴場の靴箱には紙とペンが置いてあり「名前を書いて自分のスリッパの上に置いてください」というシステムを採用している。なるほど、と思っていたら横でSさんが「私のどれだっけ、わかんなくなっちゃった」といきなり言うから爆笑した。はーおかし、と思って記名した紙を置こうとしたら、私のだと思っていたスリッパは既に別の人の名札が置かれていた。爆怖。

温泉はタイミングよく空いていて、我々は貸切の露天風呂で積もる話をした。途中で女性が一人入ってきたが(男性だったらえらいこっちゃ)その時わたしは「Sさんのことがとても好きです」という話の真っ最中だったので、なにのぼせとんのじゃコイツ、はよ上がれ、と思われたかもしれない。それならいいが、気まずい思いをしていたら申し訳ない。ところでわたしは湯船に浸かる前に化粧を落とすか散々悩み、あとで眉だけ描こう、と思って顔も洗ったのに、結局眉は描かなかった。そうなるに決まっているのに、自己分析が甘すぎる。次回は眉ティントを試してみようか。

 

夜はビールと日本酒で大人時間。子が寝ているので電気を点けるのは躊躇われ、行燈と窓からの月明かりで乾杯する。枕草子か?

地ビールが苦い、チーザ美味しい、と言い合いながら順番に最近の近況報告をする。こういう場面で夫は口が重く、わたしが横からつついたり茶々を入れたりする。けどいざ自分の番になると私の方こそ話すことは何もなく、苦し紛れで友人の結婚式に参列した話をする。新郎がサラブレッドでスーパーエリートでブラックジャックみたいな人、と言うとSさんが「その人のケッカンを探して見たいですね」と言う。性癖の話か…!?と思ったら「欠陥」だった。O先生は最近出会ったモヤモヤする人の話をしてくれて、わたしはそれにとっくり共感した。それにしても友人とお酒を飲みつつ談笑する時間の尊さよ。私はこの時が楽しみで楽しみで、楽しみすぎてその旨をFMラジオに投稿したりしていた(読まれた)。

 

翌日起きて朝食バイキング。前夜もそうで、これはバイキングなら子どもも何かしら食べられるだろうという、はっきり言って妥協なんだけど、これがまあ予想を大きく裏切り大変に美味しかった。特に夕食に出た茶碗蒸しが傑作で、Sさんと感激してベタ褒めし、この世界でおそらくただ一人の「茶碗蒸しが嫌いな人間」こと我が夫に「これは絶対美味しい!」と言って食べてもらった。美味しくなかったらしい。ー完ー

 

チェックアウト後、ロープウェイに乗って六甲山へ。子はロープウェイが動き出してすぐ泣き出し、すぐに泣き止んだと思ったら、降りてからまた泣き出してしまった。ずっと怖いのを我慢してたんだ。ごめんね、ごめんね。注意が足りなかったと反省。子はそのあと大好きなカラーコーンをたくさん見つけて機嫌を直してくれた。頂上のお土産屋さんではデフォルメされた消防車や救急車の描かれたTシャツが売っていて、子が興味を示す。たしかに可愛いが、5,000円…!!さすがに旅行ハイのわたしでも踏みとどまった。しかし下山後、駅までの道中にあった一串450円もするさつま揚げはバッチリ買い食いした。夫も食べて900円。今思い出すと気絶しそうになる。

 

ギリギリまでお土産屋さんをうろついて、有馬温泉を後にした。Sさん達はそのまま神戸市街へ、我が家は新神戸駅へ。車内で対面に座り、ありがとう、お元気で、お気をつけて、の応酬。

行くまでは、初めて友達と子連れ旅行、一体どうなっちゃうの〜!?と思っていたけど、大きなトラブルもなく、とても楽しい時間を過ごした。決定的なもの別れで旅を終えていたら「友人と家族旅行をして縁を切った話」というマンガを描いてインスタに載せるルートもあったが、回避。もっとも友人一家がどう思ったかはわからないので、現在Sさんがそれを描いている最中かもしれない。または私が知らないだけで、もう公開されている可能性もある。最近のインスタ、人間関係のトラブルの話がめちゃくちゃ多くて怖い。

 

旅行から帰ってからお互いが撮った写真を共有し、はたと気づく。わたしとSさんが一緒に写っている写真がない。ロープウェイの中で全員で撮った一枚だけだ。ほとんどの写真は子を中心に、お互いの家族写真になっているのだ。撮っている時には気づかなかった。

そのつもりはなくとも少しずつ、子どもが、家族が中心に。こういうことなんだな、と少しだけ腑に落ちた。悲しさや寂しさとは違う、切なさがしみじみと胸に満ちる。けれど膝に二歳児を乗せたSさん、その隣でピースするO先生、彼らにスマホを向けたわたしも笑顔でそこにいたのだと、そのことを忘れずにいたい。

 

ちなみに最大のトラブルは行きの新幹線に乗る直前、子が夫の抱っこ紐の中でおしっこを溢れさせたこと。出発からわずか一時間にして予備の着替えを失うという生温かい展開だった。そして成人男性である夫に予備の着替えはなかったので、しばらくお腹がおしっこで濡れていた。暖かい日だったのが幸いだった。もう半月も前のことなのに、わたしだけが余韻に浸り続けて脳までふやけている。

六花亭お得情報〜♪♪

友達のSぴょんが北海道旅行を計画中だという。超いいね!!なのだが、未就学児2人を連れて大人は自分1人、つまりワンオペで飛行機、からの23日と聞いて思わず「試されに行くなぁ」と全然レジャー向けでない返事をしてしまった。これを書いている今も、その道中を想像すると、ロードオブザリングのような過酷な旅を思い浮かべてしまう。札幌の大通公園で、頼りの師(スマホ)が地底に飲み込まれることはないだろうけど。

子どもが2人いても、幼稚園に入る歳になれば、よっしゃパパ置いて旅行でも行くか!という気持ちが沸いてくるのか。試しに「ワンオペで子と旅行、行ってみる?」と自問したけれど、返事はない。ただのしかばねのようだ。

 

さて、

自ら試される大地へと赴く彼女への餞別として、六花亭のおすすめお菓子をご紹介したい。そんなのお得情報とは言わない、という声が聞こえてきそうだが、一番下までスクロールすると、そのお菓子がお得に買えるリンクが!?出て来ません。六花亭に魂を売ったら、そういう芸当もできるのかもしれない。

余談だけど、魂の売り先として六花亭を選ぶ人間、かなり純朴で好感が持てる。着圧タイツメーカーに魂を売った人間が落ちる地獄が「獄卒の前で全身着圧タイツの一発芸」だとしたら、六花亭に魂を売った人間が落ちる地獄は「マルセイバターサンドの間にギュウギュウ挟まれる」とかだろうし、それならまあ耐えられる気がする。意外と普通に地獄だけど。

結論から言うとわたしは「六花亭、マルセイバターサンドだけじゃない」と声を大にして言いたい(太字の位置、ミスってるわ)。

そのことに気づいたきっかけは、昨年のふるさと納税だ。我が家も御多分に洩れず、ド年末に泡を食って注文し、2月の頭に突然高級食材が冷凍庫を埋め尽くすーということを毎年やっている。でも去年、いつもウニとイクラじゃ芸がないな、そういえば友達がロイズの美味すぎるポテチ頼んでたことあったな、甘いものアリだな〜という思考ルートを辿ってマルセイバターサンドの存在を思い出した。探してみるとあるある、六花亭。本拠地は帯広市なのね。ここはひとつ帯広市の子どもを応援しようじゃないの、と思ってポチったのが1万数千円分の缶入りのお菓子詰め合わせ。帯広市の子供たち、立派な公園を作ってもらって、明るい未来を歩んでくれよな。

ところで昔、この菓子の存在を知った頃はてっきり「マルセイ」が会社の名前だと思っていた。後から六花亭の存在を知って「じゃあマルセイは?マルセイは何だったの?」とやや衝撃を受けた。公式サイトによると、十勝で最初に作られたバター「マルセイバタ」に由来しているそう。なおwikiによると「パッケージに記載されている「バ成タ」という文字から「バナリタ」の愛称で親しまれている。」らしい。通、すぎない?

さて年明け早々に届いた六花亭のカンカンは大変充実していて、まずバナリタが8枚も入っている。これを夫婦2人で食べていいってだけでもう貴族よ。他に、フリーズドライのいちごのホワイトチョコがけも入っている。似たお菓子で、無印良品の「不揃いホワイトチョコがけいちご」があるけど、わたしはあれが毎回「不味いホワイトチョコがけいちご」に見えてしまい、その度に「不味い!?いや、不揃いか」と律儀に思う。他のお菓子は知らないのばっかりだ。「マルセイキャラメル」「マルセイビスケット」「百歳」「霜だたみ」そしてー「雪やこんこ」。

 

この。

「雪やこんこ」が。

「雪やこんこ」が。

美味すぎる。

 

美味すぎるのに、知られてなさすぎる。

 

説明しよう!雪やこんことは、

手の平に冬の雪空。

急に詩人、とビビらせたが、公式サイトからの引用である。

手のひらサイズの正方形で、よくあるラングドシャ的なお菓子よりもちょっと厚くてその分重い。このビスケット部分が秀逸で、ザクザクともサクサクともしっとりともホロホロとも違う。ちゃんとビスケットなのに、滑らかさがあるというか、スムースというか。それと中のクリームが混ざり合って溶け合って…うーん上質。味はもちろん、とにかく食感が素晴らしい。唯一無二。甘すぎないのも、アラサーにはポイントが高い。

例えるなら、

出家したオレオだろうか。

 

そのことはちゃんと公式サイトにも書かれていて(オレオには触れていない)、曰く

「大小さまざまの穴から顔をのぞかせる白いクリームで夜空に舞う雪を表しました。ブラックココアビスケットは薄さを、ホワイトチョコクリームは厚みと柔らかさにこだわりました。特徴的な歯ざわりです。」

とのこと。わたしの食レポ、時間の無駄すぎ。

とにかくこれを食べた時、わたしは感動のあまり「美味しすぎる」「革命」「ミシュラン五つ星」「なんでこんなに知名度が低いんだ」と大騒ぎした。夫にも食べさせ「バターサンドと同等の評価を受けるべき」と言ったら「それは言い過ぎ」とキッパリ言われた。わたしがハードルを上げすぎてしまったみたいだ。ミシュラン、最高でも三つ星だし。でも、わたしは本当に五つ星ぐらい感動して、今でもバターサンドに匹敵する美味しさだと確信している。と書きながら、なんとなく夫に「わたしと子で旅行行くって言ったらどう?」と聞いたら「行きたいの?」と寂しそうに言われた。ごめん、一緒に行こうね。

 

そんなわけで、北海道にお越しの際は「雪やこんこ」を、見かけたら、ぜひ。「雪やこんこ」をどうぞ、どうぞよろしくお願いします。比例の投票用紙にはどうぞ「雪やこんこ」「雪やこんこ」とお書きください。

 

ところでSぴょんと会って話したのは先週末、お互い子を夫に預けて大人の休日と洒落込んだのだ。駅ビルの13階で昼間から日本酒を飲みつつ、わたしはサーモン親子丼、彼女はカキフライ定食を食べた。その後エスカレーターで階下に向かいながら、当てもなく服屋や雑貨屋をぶらつき、行きついたケーキ屋に小一時間並び、繊細で美しくしっかり高いケーキを食べ、またぶらぶらした。わたしはピアスを買い、Sぴょんは髪飾りを買った。他愛無い、しかしどこを取っても子連れには得難い時間。一歳児との外食でサーモン親子丼を頼むことは無いし、ケーキ屋に並ぶ一時間に至っては、その有閑さにときめきすら感じた。実におめでたい(ガリレオ風に)。

 

床の間にかけられたキーマカレー

先週か先々週か、とにかく土曜の朝、木村多江がそう言ったのが聞こえて、私は思わずグーグルホームの方を見つめてしまった。この高性能なスマートスピーカーに、我が家は「ラジオを流す」という単純作業をさせていることが多い。あとキッチンタイマーグーグルホーム、さぞかし役不足に感じているであろう。しかもそのラジオも、半分ぐらいは点けっぱなしになっているだけ。なのでその時もわたしは、どういう経緯で床の間にキーマカレーがかけられる事態に至ったのか聞いていなかった。OKグーグル、許して。

 

意識して聞いていないとは言っても毎週のこと、この時間は「Sound Library」、木村多江が、主人公となる女性の自伝を朗読をする番組だという、それぐらいは把握している。切れ切れに聞こえてくるストーリーから察するに、どうやら主人公はレストランに来ていて、キーマカレーを食しているらしい。つまり私の耳が最初に捉えた一文のうち、キーマカレーが正しく、床の間の方が空耳だったようだ。話は「シェフとその相棒が以前は航空会社で働いていた」というところまで来ている。それがなぜ、レストランを?という話をこれからするのだろうが、わたしの頭の中は床の間にかけられたキーマカレーのことでいっぱいだ。わたしは、何と床の間を聞き間違えたのだろう。そう、何かを聞き間違えたというのはわかっているのです。

 

 

キーマカレーがかけられているものといったら「ご飯」と決まったようなもんだけど、「ご飯」と「床の間」は発音が遠すぎる。「白米」「ライス」「サフランライス」「ターメリックライス」「まんま」全部違う気がするし、木村多江が演じているのはことばが出始めた幼児ではない。

他、キーマカレーと共に食べたいものとしてはナンがある。でも、カレーがかけられた状態で客の前に登場すること、ある?もしあったとしたら、ずいぶん独善的な店だなぁと思う。

 

それとも場所じゃなくて「多めに」「控えめに」「雑に」「丁寧に」「秘めやかに」「晴れやかに」「うららかに」とかだった?いまいちピンと来ない。選んだ単語も悪い。晴れやかとうららか、かぶってるし。

すべてを投げ打って発音だけで似た単語を考えてみたけど、「桃の葉」と「九日(ここのか)」しか思いつかなかった。桃の葉にかけられたキーマカレー。桃の持つ魔除けの力を、キーマカレーが増強しているのか台無しにしているのか、興味深い。九日にかけられたキーマカレー。えーっと、「去る九日に私は〇〇さんにキーマカレーをかけられました」って話してる?だとしたら今すぐ警察に駆け込もう。わたし馬鹿だからさ、わかんないけど、多分、傷害罪だよ。

 

結ばれない運命の、床の間とキーマカレー

 

その場面を想像している。掛け軸のあるべき床の間の壁に、ドロドロと赤茶色をしたひき肉とルーがドビタァとぶちまけられ、足元に器が転がっている。よくお店で出てくる銀色の小さな器ではなくて、茶道で使うみたいなぶ厚くてゴロンとした陶器の茶碗。それになみなみ入っていたんだから、キーマカレーの量も相当あったはずだ。周りの畳にもオレンジ色の油が飛び散っている。この手の汚れは想定を遥かに超えた場所まで飛んでいるから掃除するときに驚く。床の間の壁の油染みはジュワッと染みついて落ちなくなるし、なんといっても匂いが絶望的に取れない。その和室でお茶を飲む者全員、しばらくはカレーの口になりながら練り切りを噛み締めることになる。

そんな狼藉を働いたのはもちろん、一番尖ってる時の海原雄山だろう(なにがもちろん、なんだ)。何かしら気に食わないことがあって、「なんだこれはっ!!」と怒声を上げて、お茶碗に盛られたキーマカレーを床の間に投げつけたのだ。酷いやつだ。用意してくれたインド人シェフに「ナンです」と返されて、恥ずかしい思いをすればいい。

 

 

ところでわたしは美味しんぼを、同世代の中ではかなりちゃんと読んだ女なんじゃないかと思っていて、それは単に、実家にあったからなんだけど。40巻だか50巻だか、とにかく山岡さんと栗田さんがくっつくところまで揃っていた。調べたら、今は111巻まで出ていて、完結もしていないらしい。カレー回、あったかなぁ。あったよねぇきっと。全然覚えてないけど、ない方が不自然。

うちの親、なんで途中で買うのを辞めてしまったんだろう。もしかして、美味しんぼグルメ漫画ではなく恋愛漫画として読んでいたのだろうか。それってなんと言うか、かなりピュアな気がする。

子守唄が歌えない

できるだけ気をつけていたつもりだけど、やっぱりお約束には逆らえず、子の風邪をがっつり頂戴した。バレンタインの前日に、ちょっと喉が痛いかな、から始まって、そこから鼻が詰まったり、かと思えば喉は良くなったり、でもまた悪くなったり。一週間ほど自分の呼吸器官同士で風邪症状をなすりつけ合いながら、家にあった薬を飲んで誤魔化していたけれど、遂に鼻が詰まりに詰まって声が枯れ、咳まで出始めてにっちもさっちも行かなくなった。わたしの風邪はだいたい熱っぽさから始まるので、今回のように鼻喉をやられるのは珍しい、ほとんど初めてかもしれない。ひどい鼻声になり、子を連れて行った小児科で、「お母さんの方が辛そうね」と言われる始末。

 

それにしても、鼻詰まりがこんなに苦しいとは。わたしはもともと重度のアレルギー性鼻炎持ちで、普段から鼻の7割ぐらいが詰まっている。わたしの鼻が悪い、ことを、わたしの友人は皆知っているし、地声が既に鼻声っぽくはある。それでも、そんなに生活に支障はない。金木犀の香りもパン屋さんの匂いもわかるし、子のうんちにも気づく。これで十分。いつか自宅でガス漏れが起きても気がつかないであろう、という懸念はあるけれど、そんなことは些事だ。とにかく普段からそんな有り様なので、多くの人よりは鼻詰まり耐性があるはずだった。

 

そんなわたしの鼻は今、120%詰まっている。イメージでは、鼻の中の壁がミチミチに膨れ上がって一分の隙も無い感じ。外から見ても鼻が膨張していないのが不思議なくらいだ。7割詰まっているのと10割詰まっているのでは、たいして変わらないだろうと思っていたら大間違いだった。しかも12割詰まってるし。

こうなると普段辛うじて開通している3割がいかに大切か身に染みてわかって、何がつらいって寝苦しさが尋常じゃない。口呼吸になるから喉は夜中もだんだん痛くなるし、咳も増える。余りにも辛いので、今手元にダイナマイトがあったら、鼻の中を坑道よろしく爆破して、開通の勢いで木っ端微塵になっていたかもしれない。お騒がせな奴としてスポーツ新聞を賑わせれば、友達と飲む時にテッパンのネタになる。死んでるけど。

 

そして「育児のここがしんどい!〜鼻詰まり編〜」の気づきとして、絵本を読むのが極めてに困難になる。子は嬉しいことに絵本が好きで、本棚の絵本を片っ端から読んでくれと持ってくるけど、今の自分の声は正に「聞くに耐えない」。普段は登場人物ごとに声をちょっと変えたりするけれど、今はこぐまちゃんもしろくまちゃんも、パオちゃんもうさこちゃんも、うさこちゃんのとうさんもかあさんも、みな鼻声。こぐまちゃんのセリフ「ぼく、なんでもできるよ」が「ポク、タッテモテキルヨ」になってしまい、子の発語に影響がないか心配だ。

 

夫はとても気遣ってくれて、おそらくあまり好きではなさそうな読み聞かせもここ数日は率先して代わってくれる。けど、わざわざわたしに「聞いてらんない」と言うので、もっと言い方はないのか、この様子では周囲に誤解されていないか、と思う。

 

そしてそして、声が出ないことがより致命的と感じられるのは、寝かしつけだ。

ぞうさん」「七つの子」「海」あたりの童謡を小声で歌って寝かしつけるのを毎晩のルーティンにしているけれど、この「小声で+ゆっくり歌う」が、無理すぎる!!

鼻が詰まっている分声が出しづらいから、日中はある程度声を張って話している。が、寝かしつけでは声を張るわけにはいかず、落ち着いて静かに歌おうとすると、カスカスの声しか出ない。「ぞうさん」の最初の「ぞーぉさん」の長音がもう出ず、「ゾ…ホサ…………」みたいな不気味な音を発することしかできない。「オハァガンガィオネ」と続けながら、子を抱いて、真っ暗な部屋を行ったり来たり。この時間だけでもお化け屋敷に雇われて、時給を発生させたい。

 

ここまできたら、マツキヨでなぜか2割引で売られていたルルアタックでは太刀打ちができず、一昨日やっと耳鼻科に行った。先生の見立てではやはり「鼻炎と風邪が合体したんだねぇ、かなり腫れちゃってる」とのことだった。そうですよねと思いつつ薬局で処方された薬を待っていたら、8種類も薬が出て笑ってしまった。出過ぎ。薬剤師さんも苦笑いしていた。

 

その8種類の服用のタイミングが、毎食前、毎食後、昼食後のみ、就寝前、痛い時、6時間ごと、など少しずつズレている。お薬飲み忘れ防止トレーのようなものが売っているのは知っていたけど、はじめて必要性を理解した。こんなものでもなければ、8種類の薬はとても人の手には負えない。そして食前に飲む粉薬がクソ不味いので、これが食後じゃなくて良かった、と思う。飲み始めて2日、症状はかなり改善された。

 

昨日わたしは用があって外泊したので、子は夫と留守番だった。いつもわたしの抱っこでないと寝ない子も、昨日は夫の抱っこでストンと寝たらしい。不思議、お利口、親孝行, yeah。今日からまたわたしが寝かしつけるんだろうけど、今夜こそは懐かしい日本の名曲を滑らかに静かに歌い上げたい。今日はサービスして、「うれしいひなまつり」も歌っちゃおうかな。