床の間にかけられたキーマカレー

先週か先々週か、とにかく土曜の朝、木村多江がそう言ったのが聞こえて、私は思わずグーグルホームの方を見つめてしまった。この高性能なスマートスピーカーに、我が家は「ラジオを流す」という単純作業をさせていることが多い。あとキッチンタイマーグーグルホーム、さぞかし役不足に感じているであろう。しかもそのラジオも、半分ぐらいは点けっぱなしになっているだけ。なのでその時もわたしは、どういう経緯で床の間にキーマカレーがかけられる事態に至ったのか聞いていなかった。OKグーグル、許して。

 

意識して聞いていないとは言っても毎週のこと、この時間は「Sound Library」、木村多江が、主人公となる女性の自伝を朗読をする番組だという、それぐらいは把握している。切れ切れに聞こえてくるストーリーから察するに、どうやら主人公はレストランに来ていて、キーマカレーを食しているらしい。つまり私の耳が最初に捉えた一文のうち、キーマカレーが正しく、床の間の方が空耳だったようだ。話は「シェフとその相棒が以前は航空会社で働いていた」というところまで来ている。それがなぜ、レストランを?という話をこれからするのだろうが、わたしの頭の中は床の間にかけられたキーマカレーのことでいっぱいだ。わたしは、何と床の間を聞き間違えたのだろう。そう、何かを聞き間違えたというのはわかっているのです。

 

 

キーマカレーがかけられているものといったら「ご飯」と決まったようなもんだけど、「ご飯」と「床の間」は発音が遠すぎる。「白米」「ライス」「サフランライス」「ターメリックライス」「まんま」全部違う気がするし、木村多江が演じているのはことばが出始めた幼児ではない。

他、キーマカレーと共に食べたいものとしてはナンがある。でも、カレーがかけられた状態で客の前に登場すること、ある?もしあったとしたら、ずいぶん独善的な店だなぁと思う。

 

それとも場所じゃなくて「多めに」「控えめに」「雑に」「丁寧に」「秘めやかに」「晴れやかに」「うららかに」とかだった?いまいちピンと来ない。選んだ単語も悪い。晴れやかとうららか、かぶってるし。

すべてを投げ打って発音だけで似た単語を考えてみたけど、「桃の葉」と「九日(ここのか)」しか思いつかなかった。桃の葉にかけられたキーマカレー。桃の持つ魔除けの力を、キーマカレーが増強しているのか台無しにしているのか、興味深い。九日にかけられたキーマカレー。えーっと、「去る九日に私は〇〇さんにキーマカレーをかけられました」って話してる?だとしたら今すぐ警察に駆け込もう。わたし馬鹿だからさ、わかんないけど、多分、傷害罪だよ。

 

結ばれない運命の、床の間とキーマカレー

 

その場面を想像している。掛け軸のあるべき床の間の壁に、ドロドロと赤茶色をしたひき肉とルーがドビタァとぶちまけられ、足元に器が転がっている。よくお店で出てくる銀色の小さな器ではなくて、茶道で使うみたいなぶ厚くてゴロンとした陶器の茶碗。それになみなみ入っていたんだから、キーマカレーの量も相当あったはずだ。周りの畳にもオレンジ色の油が飛び散っている。この手の汚れは想定を遥かに超えた場所まで飛んでいるから掃除するときに驚く。床の間の壁の油染みはジュワッと染みついて落ちなくなるし、なんといっても匂いが絶望的に取れない。その和室でお茶を飲む者全員、しばらくはカレーの口になりながら練り切りを噛み締めることになる。

そんな狼藉を働いたのはもちろん、一番尖ってる時の海原雄山だろう(なにがもちろん、なんだ)。何かしら気に食わないことがあって、「なんだこれはっ!!」と怒声を上げて、お茶碗に盛られたキーマカレーを床の間に投げつけたのだ。酷いやつだ。用意してくれたインド人シェフに「ナンです」と返されて、恥ずかしい思いをすればいい。

 

 

ところでわたしは美味しんぼを、同世代の中ではかなりちゃんと読んだ女なんじゃないかと思っていて、それは単に、実家にあったからなんだけど。40巻だか50巻だか、とにかく山岡さんと栗田さんがくっつくところまで揃っていた。調べたら、今は111巻まで出ていて、完結もしていないらしい。カレー回、あったかなぁ。あったよねぇきっと。全然覚えてないけど、ない方が不自然。

うちの親、なんで途中で買うのを辞めてしまったんだろう。もしかして、美味しんぼグルメ漫画ではなく恋愛漫画として読んでいたのだろうか。それってなんと言うか、かなりピュアな気がする。