わたしとひじきと豚と

少し前から、子がわたしに向かって「ママかわいー」と言うようになった。子の発語はいつだって突然で、その日の朝わたしの履いていた靴下に向かって急に「これかわいー」と言い出し、その日のうちに「ママかわいー」に到達した。子が誕生したその日から、わたしが毎日ダースで浴びせてきた「かわいい!」がついにアウトプットに結びついた瞬間である。

 

そのまた少し前まで、いったい全体何がどうしてなのか、子はわたしや夫に向かって「ブタ」と連発していた。「ブタ?」とちょっと高い声で、不思議そうな感じで言うから、大人でいうところの「は?」と近いものを感じる。そんなことを教えた覚えはないのに、気に食わないことがあると「ブタ?」と言ってきゅるんきゅるんの瞳でこちらを見上げていた。例えば、許容量以上のジュースを欲しがったとき。「ジュース」「もうおしまい」「ジュース」「ダメよ」「ジュース」「あとはお茶」「ブタ?」今なんて?

 

とはいえ、本当にブタと言ってるかはわからず。まだまだ発音も不明瞭だし。この時期に友だちの車で出かけたとき、うちの子はなぜか車中で「ブルワリー」と連呼していて、私と友だちは「醸造?」と首を捻ったが、後に「ぶどう味」と言っていたことが解明された。「何が?」という謎は残るが、とにかくブタでない何らかを言おうとしていた可能性だって大いにある。

 

そうだとしても。オムツを替えるよ、と言ったとき、「オムツ替えよう」「や!」「お尻が蒸れちゃう」「や!」「こっち来なさい」「ブタ?」違うよ。

 

でも、ブタにそんなに思い入れがあるはずがない。第一、実物を見たことがない。うちにある絵本にも、ほとんど出てこない。主役級の扱いを受けている話は、多分、無いんじゃないか。子どもの絵本の主役はだいたいクマかウサギ、次点でゾウと相場は決まっている。かろうじてブタが出てくるのは童謡集の「こぶたぬきつねこ」の中だけだ。それだって、他の曲と比べてそんなに歌っているわけじゃなく、むしろ少ないほう。「どんぐりころころ」ならもう一生どころか来来来世の分まで歌ったが。ほかのどの場面においても、創作物としてのブタと出会ったことはほぼ無い。だからやっぱり、「ブタって言ってるんじゃ、ないんだよなあ?」という風に思えてならない。

 

それなのに!キッチンにいるわたしのところへやって来て「パズル」「今は無理だなー」「パズル」「ごめんね」「パズル」「ご飯作ってるの」「ブタ」そんな言う?

 

なんといっても信じ難いのが、子の言う「ブタ」が明らかに侮辱ないし煽りのニュアンスを孕んでいることだ。ここでわたしは断言しなければならないが、わたしも夫も子の面前で、ブタを引き合いに出してお互いを罵倒したりはしていない。一応言うと、子がいなくてもしていない。我々のケンカはそんなに熱烈な感じではなく、もっとジメジメしている。自宅保育の今、子の周囲の人間との関わりはまだかなり限定的で、ほとんど全てわたしの目の届く範囲で行われている。子に向かって「ブタ!」と言うような人間もいなければ、そんなやりとりを目にしたことも、ないはずだ。

なのになのにそれなのに。「歯磨きしよ」「やだ」「やだじゃないの」「やだ」「虫歯になっちゃうよ」「ブタ!?」「ブタじゃないよ」

 

ブタ、ブタじゃない、という不毛な応酬を日に何度もしていると、だんだんイライラが蓄積されていく。子は、ブタと言っていないのかもしれないし、言っていたとしても侮蔑の意味はないのかもしれない。そもそもブタ=悪口と思うのだって、よく考えたらブタに失礼な話だよな〜とか、なるべく冷静でいられるように思考してみても、浴びせられる「ブタ!?」の五月雨に返答するのも嫌になってきて、ただ子をキッと睨む、という反応になる。褒められた対応じゃないのはわかっているけどイライラは止められない。今ここでヒグマになってやろうか、と思う。手負いの。

 

そんな風に謂れのないブタ呼ばわりを数ヶ月受けた後の「ママかわいー」は、感動もひとしおである。録音して着ボイスにしたい。最近着メロも着うたも着ボイスも、全然言わないし聞かないね。電車の中や試験会場で、赤の他人の着信音に個性を感じることは、もう無いのか。わたしの高校時代の友だちは、センター模試の真っ最中に自身のケータイが少年の声で「ユリ、起きろよお〜!」と叫び出してしまい、顔面蒼白になっていた。そんな経験、ありませんか?わたしはない。

 

話を戻すと、子は一度習得した「かわいー」の対象を瞬く間に拡大し、「お父さんかわいー」「うさぎかわいー」「コップかわいー」「くっく(くつ)かわいー」と、かわいいを量産するようになった。最近は昼食のチャーハンを前にして「ひじき、かわいー!」と叫んでおり、かわいいのハードルが地面スレスレまで下降してきている。わたしはブタを脱して、ひじきと同程度にはかわいくなった、らしい。これは喜ぶべきことなのか。人間からは遠のいてないか。ひじきも鉄分の含有量ではなくかわいさを褒められて、面食らったことだろう。

 

そして「かわいー!」と言われたわたしが「ハッピー!」と返すのが定番になり、最近は返事をし忘れると「ハッピー?」と聞かれるようになった。なんて平和なのと思っていたら、夫が仕事から帰宅した音を聞きつけて「おとうさんのけはい」と言いだしたりして、急だから本当にビックリする。子の語彙はどんどん増えて、聞けばこの時期の子どもは一日一語のペースで言葉を習得するらしい。すごいすごい、生命力に溢れている。こうして生きる力を身につけていくんだね。

 

一方そのころわたしは大人と話していても「今日アチチだね」とか「おてて洗おー」とか「あんよ疲れた」言ってしまうようになった。語彙、後退している。このまま子が語彙を増やし続ける一方でわたしは後退し続けていったら、30年後にはわたしはMAXでも5語文しか話せなくなってしまう。ベンジャミンバトンってそういう話?

これじゃあいかん、わたしこそもっとインプットを増やした方がいい。そう思ったそばから今また夫に「部屋アチチくない?」と聞いてしまった。もう語彙とかではなく、文法とか全てが間違っている。なんとなく郷ひろみの気配もするし。燃えてるんだろうか。頭が。

 

けんしとゆきえ

先日、大学時代の友だちとリモート飲みをしていた時のこと。映画『君たちはどう生きるか』の話が出て、わたしは「オモコロの面々の評価を聞いて見たくなった、あと玄師が主題歌歌ってるから見たい」と言った。言ったところ、友だちに「米津玄師のこと、玄師って呼んでんの?(笑)」と聞かれて、ハッとした。呼んでる。

 

呼んでる!!

 

翌朝夫にその話をしたら、「あー呼んでるよね」と言われた。わたしは米津玄師が割と好きだし、我が子がレモン柄のシャツを着る度に「あの日のかな〜しみ〜さえ〜♪」と歌っては夫に無視されているくらいなので、これまでもそれなりに玄師けんし言ってたんだと思う。冷静に考えると、米津玄師を呼び捨てにする道理はない。友だちじゃあるまいし。彼に関しては、なんでこんな馴れ馴れしい呼び方をしているのか忘れてしまった。覚えているのは由紀恵を呼び捨てにするようになったきっかけだ。

 

仲間由紀恵

 

美の権化こと仲間由紀恵だが(主観)、彼女を呼び捨てにするようになった時期は明確で、高一の時だ。中高エスカレーターの女子高、わたしは持ち上がりで高校生になった「内部生」だったが、高校受験を経て合流する「外部生」もいる。出席番号が私の後ろだったAちゃんは、外部生だった。彼氏がいて、眉も整えていて、制服の着崩し方もこなれていて。全てがわたしより大人っぽく、かっこよかった。

 

そのAちゃんが安室奈美恵を「奈美恵」と呼んでおり、わたしはそれにいたく感銘を受けて仲間由紀恵のことを「由紀恵」と呼ぶようになったのである。

 

なんだそれ???

 

今改めて思い出してみると、納得感が全くない。当時の自分と全く違うAちゃんに憧れるのはわかる。でも何故そこを真似した?しかも奈美恵と関係ない由紀恵を引っ張り出してきてまで。眉の整え方でも教えてもらえば良かったのに。私はいまだに、自分の眉メイクに納得がいく日の方が少ない。

 

ここ最近は呼び捨ても違うかも、と思いはじめて「由紀恵ちゃん」と呼んでいた。それも違うだろ、とは気づきつつも呼び続けていたところ、先日旅先で彼女のポスターを見かけた。何気なく「あ、由紀恵ちゃん」と反応したら、一緒にいた友だちに「なに、友だち?」と言われた。至極真っ当なツッコミである。

 

 

これを書きながら考えてみても、米津玄師を呼び捨てにするようになったきっかけはさっぱり思い出せない。でも米津玄師を好きなのは本当で、中でも『Flamingo』と『ゴーゴー幽霊船』が大好き。『Flamingo』は、わたしが実家を出る際、市役所に転出届を出した日にリリースされた曲で、その帰りのバスで聴いた時のことを思い出す、大変エモ苦しい曲だ。

 

一方『ゴーゴー幽霊船』はシンプルに歌詞が好きだ。米津玄師に限らず、固有名詞が出てくる歌詞というのが好きで、だからこの曲の「丸善前のアンドロイド」と言う箇所にときめいて、池袋のどデカい本屋の前に佇む無機物の女性、オレンジ色のワンピースを着ている、その滑らかな肌なんかのイメージを膨らませていたー

ところが!ずいぶん後になって知ったが、玄師は実際には「回るゼンマイのアンドロイド」と歌っていたのである。丸善、全然関係なかった。全てはわたしの幻想。その衝撃も相まって、わたしの中で存在感のある曲、『ゴーゴー幽霊船』。この曲は割と古いせいか、他の曲と比べて知名度が低い気がするので、確認するためだけでも是非聴いてみてほしい。言ってるから(言ってない)。

 

このことを夫に「空耳アワードに送ってみようかな」と言ったらニコリともせずに「空耳アワーだよ」と言われた。せめて笑ってくれ。今どきアンドロイドでももうちょっと愛想いいぞ。

強火オタクと2人サミット〜7人の大我くんを添えて〜

友だちと2人、一泊の旅行に行ってきた。

彼女、Kとは中学高校が一緒で、もうかれこれ18年の付き合いになる。中高とエスカレーターの女子校で6年間、吹奏楽部で一緒にホルンを吹いていた。彼女とはとても馬が合い、学生生活がはるか昔となった今もこうして仲良くしていて、数年前のわたしの結婚式では友人代表のスピーチもしてもらった。まさに21。読み方がわからない人は、周りのアラサー女性に聞いてみよう。

 

さてこのKが、オタクである。

かなりの、強火オタクである。

 

彼女は中一で出会った時から某ジャニーズアイドルの熱心なファンで、高校を卒業するまでその熱は変わらなかった。大学在学中は彼の舞台等に熱心に通いながらも、その愛は徐々に別のジャニーズJr.氏にも広がり、京都を旅行した時に彼の訪れた神社を参拝したこともある。同時にジャニーズ以外の俳優を推しつつ、観劇そのものにもハマって帝国劇場近辺を庭にしていた。社会人になってからは、時間とお金のかけ方も激しくなり、この頃ようやくわたしは「どうやらKはわたしなんかでは全く理解できないレベルのオタクだぞ」と気づき始めた。以前「これまでオタ活にいくら使った?」と聞いてみたけれど「考えたら負け」とだけ言われて教えてくれなかった。

 

この彼女の寵愛を今一身に受けるのがSixTONES京本大我氏だ。

「この度推しが増えました、SixTONES京本大我くんです」と聞いたのが去年。で、今年行われた全国ツアーでは一箇所を除いて全ての都市で参戦していた。エンジンをかけた瞬間から、アクセルベタ踏みである。「今週末は仙台で来週は北海道」「名古屋は落選したんだけどチケットはギリギリまで探す」みたいなことを言っていて、この時点でわたしなんかはもう、息を飲んでいる(しかも名古屋のチケットも実際に手に入れていた)。余談だけれどこのツアー中、彼女が泊まりに来てくれる予定があったのに、わたしが体調を崩して叶わなかった。ツアーについて「全部内容一緒でしょ」と暴言を吐いた罰が当たったんだと思っている。

 

そんな長年の友だちとの旅行も約2年半ぶり。旅先の候補は幾つかあったけど、どちらからともなく言い出した「サミットしよ2人でw」が決定打となり、広島に行くことになった。何を隠そう2人で広島に行くのは、これで4回目である。4回目ともなればツウな楽しみ方の一つや二つ見つけていて当然、くらいなものだが、わたしとKは今回も初めて訪れた時と全く同じテンションで厳島神社に感動し、鹿を愛で、揚げもみじを食べ、牡蠣を食べ、もみじ饅頭をお土産に買った。修学旅行生か?

なんにせよ彼女との久しぶりの旅行、前回は妊娠発覚直前だったことも思い出されて感慨深い。そう思っていたらKは「オタ活じゃない旅行、久しぶりすぎてよくわかんない」と全く共感できない感慨にふけっていて面白かった。

 

さて広島駅で腹ごしらえをし、電車と船に揺られてやってきた宮島。宿に着いて早々、Kが言う。

「大我くん連れてきたの、あそこに入ってるから、後で見てくれる?」

 

わたしが彼女の白いスーツケースをまじまじと見ながら「今すぐ通報?あとで隙を見て通報?」と迷っていると「違う違う、アクスタ!」と言われる。アクスタ!わたしでもその文化は知っている。パフェの横に佇んでいるのをインスタでよく目にする。アルコール消毒するとただのアクリル板になっちゃうんでしょ、バズってたの見たよ。やってみてもいい?いいわけない。そんなことを言いながらKがポーチから出した京本大我氏、予想外に7人いたので爆笑してしまった。

 

ジャケットの裏地(赤)を見せる大我くん、民族衣装のような複雑な作りの服を着ている大我くん、Tシャツにジーパンのラフな大我くん、ジャケットの裏地(花柄)を見せる大我くん。総勢7名の大我くんを前にわたしは一言「思ったより小さいんだね」と言った。今思うと0点の感想である。興味本位で若い順に並べてもらったら、最後の1人だけスーツで、神妙な面持ちをしている。謝罪会見?と聞いたら、Eテレの番組の衣装だった。

 

一息ついた後、大聖院というお寺を目指すことにした。Kは最近御朱印趣味を始めたらしく、その大聖院の御朱印は切り絵が使われたとても美しいものだという。ネットで見たら確かに綺麗だった。が、よくよく聞いたら御朱印集めも大我くんの影響で、御朱印帳も大我くんとお揃いの、京都は南禅寺にて購入したものらしい。道理でKの趣味らしからぬ、いかつい虎が表紙にいると思った。そして我々が目指す大聖院も、彼が行ったから向かっているのだという。オタ活の旅行やないかい。

 

宿を出る前、「できるだけ荷物を減らしたい」と頭を悩ませるKだったが、7人の大我くんは連れて行くらしい。「1人だけ連れて行けばいいんじゃないの?」と言ったら「残りの大我くんがかわいそうだから」と言われた。ノコリノタイガクンガカワイソウダカラ?

 

満を持してやってきた大聖院は、もう夕方ということもあって程よく空いており、件の切り絵御朱印もスムーズにもらうことができた。Kの手によって、お寺の門に向けて、7人の大我くんが扇状に広げられる。同じ手で、もらったばかりのご朱印を背景にして。もう片方の手は撮影のためにスマホを構えているわけで、オタクってみんなこんなに器用なのか。「倒した相手を扇の一部にして戦う悪役みたい」と言ったら、ちょっとウケた。

 

と、ここで本来の最終目的地(京本大我氏が以前訪れたという意味で)である霊火堂へ行くにはちょっとした登山が必要だということが発覚。時間も装備も心の準備も足りないので、断念せざるを得なかった。踵を返して宮島の海岸へ戻る途中、Kが霊火堂の謂れを教えてくれた。そこにある「消えずの火」は、1000年以上前の高僧が修行した時の火で、以来消えずに燃え続けているらしい。言われてみれば当然だが、毎日不寝番を置いて、油を絶やさないようにしているそうだ。「これが、「油断」の語源なんだよ」。

不意打ちで一つ賢くなった。

 

ところで、御朱印をもらう時彼女が取り出したカードケースが、COACHのレキシー(恐竜のデザイン)だった。御朱印帳の虎と同様、Kの好きそうなモチーフだとは思えず「COACH好きだっけ?」と聞いたら、昨年のホリデーシーズンの商品で、広告塔が京本大我氏だったらしい。「広告出た日、たまたま仕事休みで買いに行った」。意味がわかるようでわからない。文章の前半と後半、繋がってるか?そんなに広告効果の出方が過激で、副作用はないのか。本当に彼女を構成する全て、どこを突いても京本大我氏が顔を出すので驚く。

 

その晩は回らない寿司をカウンターで食べて、宿に帰って大浴場の温泉に浸かった。普段、一歳児、メルちゃん、ぷかぷかするアヒル、象のジョウロ、500mlペットボトル、きらきらするボトルと共に入浴している身としては「風呂が広い」、これだけでかなりテンションが上がる。きらきらするボトルって何?

 

翌日はチェックアウトして厳島神社を参拝。ここでも御朱印帳の列に並んだ。やはりサラサラと、それでいて力強く書かれる「参拝 厳島神社」の筆文字は圧巻で、「わたしも欲しいかも」とちょっぴり思う。御朱印集めしてたら、全国どこでも旅行するのが楽しみになるだろうな。しかしそれよりなにより、書いてくれた神職の男性が、隣の同僚に「今日何日だっけ?」と聞いていたことに、かなり人間味を感じてグッときた。

 

その後、表参道をぶらり。観光地によくあるお箸のお店(観光地って絶対蜂蜜屋とお箸屋あるけど、あれ何で?)で、これまたよくある「名入れサービス」をやっていた。Kに、ペアの箸を買って、自分の名前と京本氏の名前を入れてはいかがか、と提案したが却下された。続けて「こういう名入れサービス、自分の名前要らなくない?推しの名前だけでいい。周りのオタクに聞いてみて」と力説された。周りにこんな強火のオタク他にいたか?と自問する。いない。Kは、オタ活に支障が出る辞令を飲めず、正社員の仕事を辞めたことさえあるのだ。そうそういない、まさに強火の、いや業火のオタクだ。

 

帰りの新幹線、わたしが先に降り、Kは東京まで乗って行く。東京ー広島間は片道4時間かかる。京本大我氏のためならハワイでも南極で木星でも行くだろうが、わたしとの旅行に2日間と安くないお金をかけてくれることには感謝しかない。そして彼女が、わたしの前でもオタクでいることに、わたしは結構感動している。オタクは基本、仲間の前でしかオタクでいないと思っていて、それは単純に「わからん奴とその話しても楽しくない」からだし、不快な思いをすることもあるからだろう。でもKは、わたしの前でも当然のように強火のオタクだ。飽かずに推しとそれを巡る彼女の思考と行動を教えてくれる。それが実際のところの十分の一でも百分の一でも、そんなことは構わない。彼女の大切なものを、分けてもらえることが嬉しい。

 

そんなことを考えながらこれを書いていたら、KからLINEが来て、曰く「推しの舞台が決まった」とのことだった。調べたらこの11月から12月にかけて、東京と大阪、それに広島で公演があるらしい。運と経験値を味方に何枚のチケットを手に入れ、どこに何回行くのか。そして総額いくらかかるのか。他人事ながら胸が熱くなる。彼女の毎日と人生を明るく照らし、同時に口座残高を焼き尽くす業火。自らの発するその消えない火が、彼女をあんまり美しく照らすから、火を持たないわたしの心も少し、焦がされる。

酒よ、人の望みの喜びよ

少し前、友だち一家と宅飲みをした。当時我が家は「なんか知らんけど酒がめっちゃあって捌ききれない」状態になっており、事態を聞きつけた友だちが、彼女の夫と2人の子どもを連れてこれを消費しに来てくれることになったのだ。子らはまだ小さく夜だと勝手が悪いので、昼飲みだ。先に近所のスーパーで買い出しをして、狭いキッチンにわらわら人が出入りして、まだテーブルの準備はできないけどもういいや、と立ったままカウンターで乾杯する。もう最高。外は晴れ、窓を開けていて風が心地よかった。ここで賢明なる読者諸兄なら、これが「少し前」どころではないことがおわかりだろう。

 

お酒が好きだ。

大学生の時にカシスオレンジとカルーアミルクから入門して、お酒って思ったよりずっとジュースじゃん、と気づいて衝撃を受けた。居酒屋のカクテルは薄いなあ、と若造なりに思うようになってからは、せめてもの抵抗で梅酒やら杏露酒をロックで飲むようになった。寒い日には梅酒のお湯割り。チェーンじゃない居酒屋に行くと蜂蜜ゆず酒やらあらごしもも酒やらが飲めて嬉しい。普通に暮らしているだけでカロリーに勝っていた、あの頃の代謝はもう帰らない。

お酒好きな友達が増えると共にワインと日本酒も飲むようになった。日本酒を飲むたびに「やっぱ日本人は米だよねぇ」とのたまう、死ぬほどダルい酒飲みの誕生である。ビールは長らくそんなに好きじゃなかったのに、社会人になった途端に飲めるようになった。ストレス社会は人を酒に溺れさせる。これはわたしだけの問題じゃないんだぞ。

 

そんなこんなで、メジャーなお酒では焼酎とウイスキー以外なら大体好きだと自己分析している。お酒も好きだし、飲み会も好き。出会い、別れ、久しぶりの再会、あらゆる季節のイベントやお祝いごとにかこつけて、お酒を飲みたい。旅行先ではいつでもどこでも、寝る前の飲酒タイムが一番楽しい。あとアラサーともなると、「飲まなきゃやってらんねぇ時」が、自分にも周囲にも多々ある。最近だと、一緒にランチをした友だちが「夫に物件探しを任せていたら家賃月25万円の事故物件に住むことになった」と頭を抱えていたが、こういう時である。本人は今「卵をあまり買わない」ことで節約をしているらしいが、あまりにも焼け石に水すぎる。彼女とわたしと、もう一人の友だちで言い合った。「その話するには酒が足りない」。

 

そんな人間なので、子を授かった時は大変だった。妊娠したらお酒飲みたい欲が無くなった、という話は割と聞くし、友達にもいた。それならそんなに辛くないと思っていたのに、わたしは妊娠発覚から卒乳までの18ヶ月、絶えずバッチバチに酒を欲していた。なんなら妊娠中も授乳中も、平時よりさらに「飲まなきゃやってらんねぇよ」という心境になっていたのに、その道が塞がっていて、より大きなストレスを生み出していた。コロナ禍で店先に設置されるようになったアルコール消毒液を、もう少しでゴクゴク飲み出すところだった。実行せず耐えたから警察にも、警察病院にもお世話にならずに済んでいる。

 

子が卒乳してお酒を解禁した時、滅多に更新しないインスタのストーリーに「酒解禁しました!!!!」と投稿したら過去一でイイねがついた。元職場の上司から、卒業後会っていない高校の時のクラスメイトまで「おめでとう!」とコメントをくれたりして、どちらも一緒に飲んだことはないのに、わたしはそんなに酒好きのオーラが滲み出ているだろうか。その夜はリハビリと称して350ml缶のビールを夫と2人で飲んで終わり、にするつもりが、気づいたら500ml缶も出してきてこっちは1人で空けてしまった。冒頭「なんか知らんけど酒がめっちゃある」と書いたけど、何のことはない、わたしのことをよく知る周囲が何かにつけて「アイツには酒なら間違いない」という正解を出してきた、その結果である。最近は実家の親まで、理由なくふるさと納税の返礼品の日本酒を送ってくるようになった。やっぱ日本人は米だよねぇ(だっっる!)

 

夫はあまり酒を飲まないので、わたしと一緒に2年間、コロナ禍も相まってほとんど酒を飲まなかった。それが別に苦でも何でもないらしい。もし2人目を考えるなら、次は夫に産んでほしいものである。わたしときたら、卒乳直後は「もう飲めるのに酒のストックがない」状況に耐えられず、料理用に置いていた、売り場で一番安いペットボトルのワインを、夜な夜な飲んでいたというのに。

 

その後は悠々自適なアルコールライフを取り戻し、心穏やかに酒を飲んでいる。めでたい日には夫と乾杯したり、カルディで安くなってるお洒落なラベルのワインを買ったり。なかなか外では飲めないが、リモート飲みで友達とワイワイすることもある。妊娠出産を経てお酒に弱くなる、という女性も割と多いように感じるが、自分には当てはまらなくてヨカッタヨカッタ。

 

そう思っていたら、件の友だち一家との宅飲みで私は鮮やかに泥酔した。宴もたけなわ、わたしが「じゃーそろそろ精算しちゃおっか」と言った時だ。言った途端、向かいにいた友だちが固まった。あれ?と思う間もなく夫が「今したばっかじゃん。やば。」と言うから、わたしはもうゾッとして、友だちは笑ってくれたけど、彼女の旦那さんの顔を見ることができなかった。

 

やっぱり酒弱くなってた、それだけならいいが、それ以前に「これまでも別に、酒強くなかったんじゃない?」という可能性が頭から離れない。思えば数々の酒の席、「楽しかったな」という記憶はあっても、何を話したかは覚えてないことも多い気がする。「記憶を無くしたことはない」のではなくて、「記憶を無くしていることに気づいていない」だけなのではないか。わたしが酒に強いんじゃなく、周囲が優しかっただけ。この十余年、ずっと。ウワアアアア!!!!飲まなきゃ!!やってられない!

 

これを書きながら『星の王子さま』に出てきた酒飲みを思い出す。王子さまにどうしてお酒を飲むのか問われた酒飲みは、「酒を飲むのが恥ずかしいから、それを忘れたい」と答えていた気がする。完全に今のわたしである。完全一致すぎて、わたしがモデルなのかと思うけど、実際にはそういう人がたくさんいるんだろう。同じ星に暮らす酒飲みのみなさん、お互い、強く生きましょうね。肝臓のことは、目に見えないんだよ。

五月の病、六月の病

この2ヶ月、書くことがなかったわけじゃなく、むしろ楽しいことは前年比でもかなり多かった。人と会ったり、お出かけしたり。でもそういうスポット的な楽しさはせいぜい週一程度、その裏では、とにかくずっと体調が悪かった。これが本当に毎日なので、もういっそそのことをブログ書こう、そう思ってからも1ヶ月ぐらい経っている。でも書く。だってもう随分前に、半分ぐらい書いちゃったのだ。貧乏性なので、ここまで書いたんだから最後まで書いて更新しないともったいない、そう思ってしまってダラダラ書いていたら一年の半分が終わっているし、こういうのって多分貧乏性とは言わない。

 

GWに友達一家が遊びに来て、大はしゃぎで深酒をした日からお腹の調子が悪く、腹痛と食欲不振が続いて1キロちょっと痩せた。痩せようと思ってるときはびた1gも痩せないのに、「これ大丈夫?」と思って内科に行き、正直に飲み過ぎたことを話すと「レントゲンは問題なさそう、腸内環境が崩れているのかも」と言われて薬をもらった。

 

でもこれがあんまり効いてる気がしない。胃腸のトラブルじゃなければ婦人科系か、そう思って産婦人科を探すことにした。よく行く児童館の先生は当地が地元だというので、おすすめの病院情報を聞いてみた。あれこれ教えてくれてありがたかったが「わたし病気多くてさー、先週も入院して、一昨日退院したばっかり」と言うから仰天して、その瞬間だけは自分のハライタのことなんか吹っ飛んでしまった。他人の子どもなんか見てないで家で寝てろ、さもなくば雇用主を出せ!と言いたかったけどかなり抑えて「先生もご自愛くださいね」という表現に留めた。彼女ともっと親密になれたら、もう少し強めにご自愛を要請したい。そう思いつつ教えてもらった産婦人科に予約を入れた。

 

ところがその予約の前日から月の障りが起こって婦人科は受診できなくなった。振り出しに戻ってしまったけど、不調の原因はこれだったのかもしれない。ややホッとしていたら、その日の午後からだんだん息切れがする。キッチンに立つのが辛い。これはきっとあれだ、貧血だ!

わたしは子を妊娠していたころ、歩くたびに息切れをしていて、お腹が重いから仕方ないよな〜と独り合点していたところ、妊婦健診で貧血と診断された経歴がある。医者に「息切れとかなかったですか?」と言われて「してますしてます!これが貧血かあ〜〜!!」と当時ちょっとテンションが上がってしまった。貧血といえば朝礼中に倒れる、それ以外の知識がなかったのである(無知すぎ)。とにかく、その時以来の貧血だ。

 

そう考えたわたしは再び内科に行き、息切れがする、貧血だと思うから薬が欲しい、と訴えた。医者はいい人で「ところで前回言ってた腹痛はどうですか?」と聞いてくれたから、あまり良くならないと正直に伝えた。そうして気づいたらわたしは血液検査をし、検便を提出することになり、息切れに対する薬は出なかった。会計して外に出てからそれに気づいて受付まで戻り、「アノ私って貧血だったんですかね?だとしたら薬がもらえませんか?」と勇気を出して言ってみた。そうしたら良き医者はわざわざ出てきて「貧血だとしても何由来の貧血なのかがわかってから薬を飲んだ方が良い」と説明してくれた。わたしは「なるほど納得」という気持ちが1割、「あーまじか」という気持ちが9割で帰途に着いた(全然納得してない)。そして「貧血に効くツボ」というネットの情報を鵜呑みにしてツボ押しを試みたり、鉄分豊富な小松菜を食べたりと付け焼き刃な貧血対策をしてその日をやり過ごした。結局息切れのひどいのは1日だけだったし、採血の結果、貧血でもなかった。気になる腹痛は、この間は完全に生理痛に押しやられてそれどころではなかった。おまけに今気づいたけど、検便の結果、聞いてない。

 

ようやく月の障りが鎮まった5月の最後の週末、夫と子に留守を任せて1泊で外泊をした。気持ちの問題もあるのだろうけど、雲の切れ間のように奇跡的に体調が良く、久しぶりの友人との再会これでもかと楽しみ、密な時間を過ごした。

 

おそらく、気が緩んでいたのだろう。

 

帰宅した翌日の月曜日に発熱し、火曜の午前中にまた内科。3週間連続、しかも全部別件で受診してしまった。普段、発熱ぐらいなら寝て治すわたしだけど、インフルエンザが流行っていると聞いていたので念のため調べてもらいに来たのだ。そうしたら、そっちじゃない方の5類の病だった。

 

半ば呆然としながら帰宅してからあちこち消毒して食事も就寝も分けたけれど時すでに遅し。水曜日の夜に子が発熱、木曜日の夜に夫が喉が痛いと言い出す。順番に病院にかかり、それぞれでバッチリコロナ感染を宣言された。幸い誰も重症化しなかったのだが、この災いを我が家にもたらしたのが明らかに「わたしが遊びに行った」ことが原因であることが、今もわたしを落ち込ませる。ちなみに同じ頃、当地は市内で避難指示が出るほどの豪雨に見舞われ、知人友人から多くのご心配の声をいただいたが、正直なところ我が家は雨どころではなく「へえ、そんなに降ったの」という感想しか抱けずにいた。心配しがいのない奴。

 

ここまでのだいたいを、実は6月頭に書いていたのだけれど。更新できなかったのは、これで終わりじゃなかったからだ。一応、元気になって締めたいという思いがあったのに(散々体調が悪い悪いと書いて、最後死んだら後味が悪いから)、体調不良はまだまだ続く。今度は夫も道連れに。

 

かかった順にコロナから回復し、これで安心と思った6月最初の週末。家族で訪れたイオンで夫がお腹の調子が悪いと言い出し、そこからしばらく「生活を回す大人の一員」としては全く使い物にならなくなった。出勤はするものの、そもそも無理をしているので、帰ってくると碌に食事もとらずに寝てしまう。必然、家事育児と看病はわたしが一手に引き受けることになる。疲れが溜まる。加えて夫は翌週「実は少し前から耳の調子が悪い、治らないから出張前に耳鼻科に行く」と言い出した。心配だった。本当に心配すぎて、でも正直「勘弁してくれ」という気持ちもあって…ストレスだろうか、わたしまでお腹を壊した。その腹痛を皮切りに、わたしの身体を頭痛、咳、喉の痛み、不眠などのあらゆる風邪の諸症状が駆け抜けていき、何が何だかわからなくなっているところに月の障り。前回からもうひと月経ったのか、状況が全く改善してないなと思ったらそれは生理ですらなく、原因不明の不正出血だった。目も当てられないとはこのことだ。飲まなきゃやってらんねぇ、そう思っても具合が悪くて酒が飲めない。

唯一の救いは子がずっと元気だったことだ。これで子までめくるめく体調不良に見舞われていたら、わたしは救いを求めて新興宗教にのめり込んでいたかもしれない。

 

6月の第三週、ギリギリのところで腹痛を治して夫は1週間の海外出張に旅立った。その間わたしは帰省して、母にすすめられた胃薬を飲んだところ、これがテキメンに効いたらしく、帰省後半は酒が飲めるまでに回復した。家事の負担が軽減したのも良かったのかもしれない。夫も出張先のスロベニアで元気そうにしていて安心だ。この話をすると必ず「スロベニアってどこ?」と聞かれる。わたしも知りませんでしたが、イタリアの右隣だそうです。ちなみに何人かには「チェコの隣?」と聞かれたが、それはスロバキアである。

 

とにかく、これで元気に家族は再会できる。

 

そう思ったのに。

家族揃って自宅に帰ってからも、夜になるとわたしの咳が止まらない日がある。日がある、だけだから始末が悪く、治ったかも、と思うとその日の夜はぶり返す。その繰り返しで時間を無駄にした後、6月の最終日にわたしも耳鼻科に行った。そこではアレルギー系か風邪系か、とにかくどっちの咳にも対応できるようにと薬が3種類、計50錠出た。この耳鼻科は信頼してお世話になっているが、いつも薬が山ほど出るのでびっくりする。ついでに今回、初めて耳鼻科で子の耳掃除をしてもらったら、左耳から「塩 ひとつまみ」ぐらいの量の耳垢がゴッソリ取れて衝撃を受けた。普段わたしのしていた耳掃除、全然意味なかったんかい。

 

もらった薬のどれが効いたのか、ここ数日で咳が出なくなり、苦節2ヶ月、やっとの思いでわたしは「元気」にたどり着いた。長かった。朝起きてもどこも痛くなく、きちんとお腹が空き、夜はすんなり眠れる。アラサーになってから日増しに感じていた「健康第一」の重みが、また激増した。こういう感慨って還暦過ぎぐらいからだと思ってたら、倍以上早かった。こんな調子では、わたしは還暦まで生きられるのかも怪しい。

 

ところで夫がスロベニアと、乗り継ぎで使ったパリの空港で大量のお菓子を買って来た。わたしはわたしで実家からお菓子をもらい、加えて祖父母から暑中お見舞いにデパ地下スイーツが届いたり、ついでに近くのパン屋のポイントカードがいっぱいになってラスクを貰ったりしたもんだから、現在うちはお菓子が大発生している(そんな害虫みたいに)。大量すぎて置き場所がなく、段ボールを一つリビングに置いてそこに溜め込んでいるのだが、子が取り出して遊ぶので、毎日リビングの床に季節のフルーツゼリーやら何やらが散乱している。この状態で、わたしは5月に減らした1キロをどこまでキープできるだろうか。どなたかお客様の中に、一緒にお菓子を消費してくださる方はいらっしゃいませんか。当方、既にピエールエルメのマカロン8個を1人で食べてしまい、7月中に糖尿病になりそうです。

春の話、夏の話

春。

花は咲き乱れ、鳥が歌い、産めよ増やせよ生命、桜咲いたら一年生。そんな季節。春の陽気に誘われて、春の行楽へ。春の装いで。春の交通安全運動を守って。春のトクトクキャンペーンでレジャーシートなど当てて。このキャンペーンはわたしが今適当に考えた言葉だが、試しに検索したら23万件がヒットした。

 

「春の」という接頭辞はその後に続く言葉を楽しいものにする。そう、何となく信じていたけれど、先日この定説を覆す言葉がうちの郵便受けに滑り込んだ。それが回覧板の中に挟まっていた「春の側溝清掃のお知らせ」。

一回スルーしたけれど、やっぱりジワジワおかしい。春の、なんだって?

 

 

楽しい春はまだまだ思いつく。

最初に誰もが思い浮かべる「春のパン祭り」。

まずパンというだけでご飯の3倍はウキウキするのに(謝れ、今すぐ)「春の+祭り」で楽しくないわけがない。ただ皿には何の感情もないので、参加したことはない。

 

次に懐かしの「春の大運動会」。

わたしは大小問わず運動会を楽しいと思ったことはないけれど、楽しいと思う人も大勢いることはわかる。それにリレーなんかを応援するのはわたしも好きだった。要は運動音痴なのだ。あと放課後にやる応援合戦の練習も嫌いだった。なんで授業中にやらない??

 

「春はあげもの」。

わたしのオリジナルだったらよかったんだけど、違う。ずいぶん前に電車内で掲示されていたサントリー角ハイの広告。井川遥が微笑む横に串カツかなんかがジュワと揚がっていた。このコピーを初めて見た時に「上手い!」と思って、それで今でも心に残っている。三十路になってもやっぱり揚げ物はテンションが上がる。ただし、量は全然食べられない。

 

「春のうららの隅田川

「上り下りの船人が」

「櫂の雫も花と散る」

「流れを何に例うべき」(長い)

わたしはこの曲を中三の音楽の授業で習って以来、洗い物する時とかに歌っては「名曲だなぁ…」としみじみしている。 100年歌い継がれよ、滝廉太郎。そう思って調べたらもう123年歌い継がれていた。そして墨田区の区民歌らしい。墨田区民、羨ましい。万が一知らない方がいたら、YouTubeで「花 滝廉太郎」で検索しよう!あなたの人生は、より豊かになります(急に怖)。

 

スピッツの歌う「春の歌 愛と希望より前に響く」。

スピッツあんまわかんなくて、この曲もほとんどうろ覚え。でもこの短いフレーズの中で「春」の後には「歌」「愛」「希望」と、この世の明るさがギュッと詰まっているんだから、春のポテンシャルは底が知れない。あとスピッツは今年のコナンの映画で主題歌を歌ってるよね!(付け焼き刃)

 

こんなにも楽しい「春の〇〇」。

それではここでもう一度ご覧いただきましょう、

「春の側溝清掃」。

 

シラ〜。

 

そんなに引きのない春があるかい。側溝清掃なんて、春の陽気から最も遠いところにある存在だろ。そう「陽気」。春は陽気なのだ。側溝清掃には、陽気さが一切ない。七三分けのガリ勉。それが悪いとは言わないけれど、やっぱり春とは不釣り合いだよね。ピクニックの方がお似合いだよ、側溝清掃は身の程を知った方がいいよ。悪役(わたし)がここまで言ったところで、ヒロインこと「春」が物陰から飛び出してきて、「不釣り合いとか勝手に決めないでよ、わたしが彼を好きなんだもん」と冴えない「側溝清掃」の前に立ち塞がる。

そのミスマッチがおかしくて、

でも愛おしくて(なにこの茶番)。

 

そんなことでクスリと笑った数日後、当地は27度まで気温が上がり、夫と2人ざわついた。まだまだ、4月だぞ。

一年前にこの地に引っ越してきて、なにに驚いたって夏の暑さだ。わたしの人生において、ここは五つ目の居住地だけど、どこよりも暑い。母方の祖父母が住むのは、夏になればその暑さの凄まじさが必ずニュースになる地域だけど、そこよりも暑い。クソ暑い。玄関を出た瞬間に「死」が脳裏をよぎるような、そういう暑さだ。ニューカレドニアが「天国に一番近い島」ならここは「地獄に一番近い半島」だ。

しかも後から調べたら半島には隣の市までしか入ってなかった。じゃあ「半島に一番近い地獄」でいいよもう(良くない、なにも)。

 

件の夏日には夫が「こんなに暑いともう、四季じゃないね」と言い出し、そうだね夏と冬の二季だね、という思いで「うん」と言ったら、「もうこれは、五季」と返される。そっちかい。

とはいえその言い分に異論はない。夫が五季を「春、夏、真夏、秋、冬」だと言うので、「夏が被っててわかりにくいから、真夏はやめて地獄にしよう」とだけ改善案を入れた。「春、夏、地獄、秋、冬」。何かを改善して「地獄」になることって、あるんだね。

 

そんなことをダラダラ書いている間に5月になり、ジワリ、夏も近づく八十八夜。あと3ヶ月もすれば、地獄に地獄がやってくる。

くぅちゃんの食生活

たいてい土曜日に、家族揃って買い出しに出かける。午前中から行くこともあれば、夕方、子がお昼寝から起きてから行くこともある。マツキヨで日用品、その後スーパーで食料品。時間があればスーパーと同じモールに入った無印良品を冷やかす。その無印は冷凍食品もあるし、本もあるし、なぜか時々朝採れミニトマトもある。他県の無印良品で長年バイトをしている義弟によれば、これは数ある無印の中でもトップクラスの品揃え、選ばれし無印らしい。それがなぜ、こんなド住宅街のど真ん中に?と思うけれども、何にせよありがたい話だ。無印はブラブラするだけで楽しい。カレーの棚だけで半日潰せる(言い過ぎ)。

 

その無印の下の階に、我が家の食生活の95%を担うスーパーがある。いつも混んでいて買い物に時間がかかるけど、活気があって良い。ひっきりなしに店内放送でお買い得情報がアナウンスされ、それとは別に野菜売り場、魚売り場のお兄さんが地声でおすすめ商品を連呼している、そういうタイプのスーパーだ。とにかくファミリー層に振った品揃えで、何もかもが大容量で売られている。りんごは6個入り、人参は7本入り、ジャガイモは10個入り、ミニトマトに至ってはこれ40個ぐらい入ってない?といった具合に。しかも恐ろしいことにうちはそのミニトマトを買うし、一週間で食べ切る。3人家族でよ!?書いてて怖くなってきた。野菜はいいとしても、個人的にはお刺身の少量パックが欲しい。少しずつ何種類か食べたいのに、小学生の筆箱みたいなサイズの柵しか売ってない。単身世帯の近隣住民はこの大盤振る舞いをどう考えているのか。

 

この豪快なスーパーで先週末、わたしがカットトマト缶を手に取ったとき、忘れられない出来事があった。トマト缶が余ったときは、ジップロックに密封して平らにして冷凍しよう!そうすると次回から、使いたい分を手で折って使えます♪(突然のライフハック

 

「青果コーナーよりご案内です、」と店内放送が入った。男性の、元気ハツラツというよりは、ちょっと落ち着いたトーンの声。くたびれ感が滲んでいる、とも言える。こんなに混んでるスーパーの、もう夕方の5時だもんね、そりゃ疲れるよねと一抹の同情を感じながら耳を傾ける。「タイムセールで苺1パック348円以下」とかだったら夫を派遣しようと思っていた、ところがアナウンスは、思いもかけない方向へと進む。

「本日、最寄り駅前の文化センターにて、倖田來未さんがライブをしているということであります」。

 

は??????????????

なんだ、どうした。思考は一気にそっちへ持っていかれる。なぜファミリー向けスーパーの青果担当者が、くぅちゃんのライブ情報を。書面だったら二度見するが、音声情報なのでそれができない。駅が混みすぎて機能停止したのか、パニックでも起きたのか。でもここは駅でのトラブルに言及するほど駅近ではない。それとも倖田來未にちなんで何かがセールになるのか。倖田來未にちなんで安くなりそうなものって、何?一瞬でいろいろな可能性が脳内を横切っていく。周りも耳をそばだてている、気がする。

 

かつてない集中力で皆が店内放送に耳を傾ける中、青果担当者は続けたー

倖田來未さんが、カットフルーツをお好きかどうか、わかりませんけれども」

「本日、カットフルーツがお買い得です」

ーわたしが言葉を失っている間に、夫はバッサリ「上手くないね」と言った。

 

夫の意見に異論はないが、咄嗟に口から出たのは「上手くないけどさ、そういう…一言添えようとしてくれる気持ちが嬉しいじゃん」だった。夫は素直に「たしかに」と納得し、それ以上に自分が「たしかに」と思った。

この「たしかに感」はなんだろう?紐解くと、つまりこれが「サービス」というものなのでは、と思い至る。例えるなら東海道新幹線で時々教えてもらえる「富士山が綺麗に見えています」みたいな。なくていいけど、あったらちょっと嬉しい。またこの青果担当者のひとひねりは「カットフルーツを売ってやろう」「上手いこと言ってやろう」という気負いがなく「ちょっと何か付け足してみよっかな」ぐらいのラフさだった。ウケたい、という圧があんまりなかったのが良かったのかもしれない。これで実はめちゃくちゃウケ狙いだったら申し訳ない。

 

さて件のカットフルーツを通りすがりに見たら、ハンドタオルぐらいある透明パッケージにパインが敷き詰められ、その上にブドウやらイチゴやらがピザの要領で配置されていた。3つ4つ買えばビジネスホテルの朝食バイキングになり得る規模だ。一体誰がこれを、と思うけど、これだって当然売れると見込まれて販売されているわけで。ということは、我が家は世間と比べてフルーツ消費量が極端に少ないのだろうか。そもそも大きさ以前にわたしの中では、カットフルーツが「安いから買っとく?」に結びつかない。とにかくこれはうちでは買えないよ、元あった場所に戻してきなさい。

だからそのアナウンスを聞いてカットフルーツを購入した客がいたのか、正直なところ疑問だ。でもうちみたいに、なに今の放送、変なの(笑)と、心を動かされた客は多いんじゃないか。これから帰ってバタバタ夜ご飯作る前に、その一瞬があったなら、それって結構価値あるサービスだったんじゃなかろうか。面白いかどうかはさておき(あんま言うなって)。しかも今気づいたけど、わたしは今後その店の店内放送を結構真剣に聞いてしまうと思う。ちくしょう!まんまと!

 

ところで、最寄り駅は別にターミナルでも何でもないから、「本当にここにくぅちゃんが?」と思って調べたら、本当だった。週末も駅前のホテルとかに泊まってたんだろうか。そう思うとちょっとドキドキする。それとも、遠くてももっとラグジュアリーなホテルに泊まるのかな。朝食バイキングとか、行くのかな。朝日の差し込む朝食会場の広いテーブルで、カットフルーツを食べる倖田來未、とても画になりそう。偏見だけどパインとか好きそう。でもそんな風にいきなり倖田來未が現れたら、それこそパニックが起きちゃうかもしれない。そんなときはぜひうちの最寄りのスーパーでメガ盛りのカットフルーツをお買い求めくださいーそういう需要に応える、あの店の、あのサイズなんだろうか。